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2013年空間趣味宣言

平面存在である、絵 に物足りなさを感じている。 そこで今年の個展では 絵を「壁から離して」展示してみた。 それにしても絵は 真横や後ろから見ることはできない。 紙 という薄っぺらな素材のはかなさ。 もっと生々しい(= 物々しい!)空間性がほしい。脱 平面を。 そこで次の実験。 「絵を立体に」できないか。 あるいは「立体に絵を」描く。 ◎2013年のサマプロジェクトはこれ、 立体(立体でない)、造形(非造形)、まわりこみ、奥行き、入れ子、超遠近法‥‥。 ◎それに加えられるエッセンスはこう、 作品という劇場、絵という建築、生み出す身体性、透明なアトリエ‥‥。 ◉次の個展は2013年の秋。 おそらくは狭い部屋で、ムンとした空気、妖しげな影に彩られ、 「身体」や「声」や「言葉」を交え、揺さぶり、眠るように、 サマの 立体絵画 が 語られる イベント、 奇妙な小部屋 ふうの個展にします。

年の瀬、答あわせ

ことし年頭の挨拶。息巻いた宣言をしてはみたけれども( 「サマ的龍ノ年」 )、いくつかは実現におよばず持ち越し。一方で予想もしていなかった共演・共作・創作・パフォーマンス・実験もさまざまにできました。とまれ、トントンほどの決算報告まで。 ◎2012年の創作活動 2月)『交感1』制作(中島弘貴氏との共作) 3月)『葬層』制作・アンデパンダン展に出品 4月)オラン氏のライブに出演(ライブ絵描き)     『交感2』制作開始するも長期化 5月)井岡護氏のライブに出演(中島弘貴氏と共演) 8月)『交感2』完成 9月)『左馬漣図画集』刊行 『奇人圖譜 改訂版』刊行 個展『サマ奇想画展』開催      オラン氏のライブに出演(ライブ絵描き) 10月)路上絵描き1(下北沢駅前) 代々木公園路上『交感』ライブ(中島弘貴氏と共演) 11月)路上絵描き2(同上) 12月)「ゲットインタッチ」参加(中島弘貴氏と共演) 随時)インターネットにて絵描き中継 大小の作品制作多数 そしてまた仕事・私事でも激務・波乱な1年、うねくる龍の巨体躯のごとく。まさに 「龍は全部入り」 の記事でしるした龍の姿 そのままな年でございました。まずは何より 皆さまに心より感謝。

ひとがたの宴に囚われる(江村あるめ「箱庭の秩序」にて)

ガレージのような、建築現場の足場ような会場である。 むき出しのコンクリート、空調の音ははるか荒野の風、カチカチと鳴る金属のささやき、それらが大きな箱庭となっている、そこに人形たちの宴の場が広がっていた。 江村あるめさんの個展「箱庭の秩序」。 入り口に立ち、ただならぬ空間の密度にまず圧倒される。

(944番目の夢 その詳細)

私は夢の記録をつけており、今朝はその944番目。とても長い夢。

オランさん・江森さんのライブ 11/28(水)

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28日は、路上ではなくカフェでのライブ。 主役はオランさん(アコーディオン、歌)・江森さん(ギター)。 絵本のようなお二人の演奏に合わせ、私は絵を描きます。 11/25追記 ※誠に恐縮ですが、私事で急なことがあり、万一の場合、サマは出演できそうにありません。楽しみにしてくださっている方々には大変申し訳なく、心よりお詫び申し上げます。

絵描き「路上より」

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日曜日。曇天。下北沢駅そばMUJIの前。「路上絵描きライブ」。雑踏をアトリエにして。 観客は通りすがりの方たち。足を止めてく見てくださった皆さまに感謝。 ・青年男女「かっけー」「色はつけないの?」「ぬりえにしたら売れそう?」「買う人いそー」「いるいる」「売れそうだよね 2300円とかで」細かい値段の付け方がおかしかった。 ・小さな子ら 質問も反応もストレート。名刺を渡した時の様子もかわいらしい。 ・ご婦人 「まあ寒いのにえらいわねえ」とお褒め(?)いただく。 ・外国の方 「ビュウリホー」。お仕事のご依頼・作品の販売については、拝辞を申し上げた。すべては英語が堪能なご婦人の通訳のおかげ、気持ちも通じ。最後の握手の手、大きく温かく。 ◉実験「街を透明なアトリエに」  今回は「開いた」路上絵描き、前回は「閉じた」路上絵描き。  結果はまるでちがった。

夜の散歩者。昼の

閑話休題。 夜の散歩は幻想的。私はたまに日暮れた住宅街へ出かける。

画家のブラックボックス 事件です。

作家は密室で作品を作る。 作家は一個のブラックボックス。  ‥‥ある晩 画家は自分の箱の中で 標本 となって発見される。 展示会はそしらぬ顔でおこなわれ、作品だけが「したり顔」でよそよそしく陳列された。 刑事は歯がみして叫んだ「何かが生まれる瞬間 が隠されたままだ!」 展示会場は、口のない画家の顔 そのもの。何か大切なものが抜け落ちている!

花の子ら

<阿佐ヶ谷のライブより> ◎木目鳥さん は始めにスケッチを開く「こんばんは木目鳥です」もうそこから幻想的な立体絵本の世界が展開する。雨がふり風がふき、あるいは木洩れ日がさし、聞き手はもうその小さな部屋の住人になる。最後にまたスケッチブックが開かれ「おしまい」の文字を見て、催眠がとけるようにハッ!と カフェにいる自分に気がつく。 ◎SHUNAさん の場合はコケティッシュだ。森で踊っている歌姫は、貴方のそこ!(胸の中)へ思いの手紙を直接 投げこんでくる。シュワシュワとして、私などは耳たぶが赤くなる。冷たく透明なのに 鮮やかに燃え上がる炎。‥‥もうすぐ冬が来る、まさに彼女の季節。 ◎フラワーチルドレンさん* を初「目撃」。自作の映像を壁に映しながらの演奏。 幻想に彩られてはいるが、現実味がある空間。『くるみわり戦争』『カッコーは木の上で』など歌詞の面白さに脳髄は染め上げられる感覚 をおぼえるものの、どうもそれだけではない。アレンジの中に、デ・キリコの絵のような 架空の広場のような、奇妙な遠近感・立体感。絵の中で車輪を棒でころがしていくあの少女こそ、彼女自身ではないか。 沈まない夕日、永遠につづく夕暮れ。‥‥待ってくれ! と 声をかけたいのに声が出ない。 その気持ちのまま、私はカフェのドアを開け、以降 見知らぬ街で宙吊りの迷子になっている。 * フラワーチルドレンさんの音楽・映像は こちらで。

ブログ模様がえ+リンク追加

いちばん新しい「妄想サーカス」シリーズ*の絵をあしらって、新しいブログへと仕立て直し。 それから「Linkage(リンク)」に「カード絵」がまとめて見られるページ*を追加しました。 「カード絵」は、日々のメモ・写真の代わりに、カードにパッと描いた絵です。 * 妄想サーカス : 磯部さん・オランさんとの話から、私がさらに妄想を広げている世界 (さかさまサーカス ) 。 * メモレーン : memolane。横スクロールによる、SNSまとめサービス。

「交感」野外編、27日(土)

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天気はよさそうですね。明日は公園で演奏+絵描き。 代々木公園はたいそう広いので、来てくれる方のために、現場から「この辺です」ツイート(Twitterで)をしようと思っています。 →終了。できあがった 作品とメモなどはこちら。

交感・野外編

中島さんのツイートで、ブログに来てくださる方が多いので「中島+サマ 野外ライブ」の話をしなくては。 日時 : 10月27日(土)13時〜夕暮れまで 場所 : 代々木公園内にて 中島さんがギターを弾き、私はイーゼルを立てて絵を描きます。 路上ライブのような気軽なものです。 注!) 雨天・強風の際は中止です。お天気になりますように‥‥。 また、当日は同じ代々木公園内で、私たちの企画とは無関係ですが、ハンドクラフトのイベントと音楽ライブが開催されるようです。「野外ステージ」がありますが、いくら待っても私たちは出てきません。「交感」は普通の場所でのほほんとやっています。

「カチッ」の何万倍?

たとえばサイトでは、たった「カチッ」という1クリックさえも、押してもらうのは大変なこと。(だからこのブログでは、一度にすべてを見せる作りにしてある。)個展では、私の気軽なたった一言の呼びかけで、来てくださった方もいた。そのために要する 時間・距離・エネルギーは、一体「カチッ」の何万倍だったろう。何より、その気持ち。ストレートな感激があった。 そもそもの始まりは‥‥

来し方行く末

個展にご来場の皆さま に心より感謝を。 Nさん夫妻 Andさん amasさん 24さん まんだら屋中村さん 吉本さん こまつさん K.A.さん 本多さん 木目鳥さん さちこさん Yamamonさん 中村さん オガタさん 中村さん 735さん ゴトウさん さささん にとさん yukiさん ウッドストックカフェさん オーナーさん 鳩豆さん 謎の作家さん ハマさん オランさん 江森さん くにきさん 中島さん ご婦人お二人さん 尾崎さん 通りすがりの中年さん‥‥ いただいた言葉は続きページへ。

移動式 作品

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サマグッズが購入できるサイト。 (個展の際、未入荷・売り切れ すみませんでした) ◉『奇人圖譜』改訂版・文庫サイズ http://bccks.jp/bcck/109107/info ◉ Tシャツ・トートバッグ http://www.ttrinity.jp/shop/sama/

『交感』は絵だけじゃない

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個展でも注目の的だった、『交感』のシリーズは、 中島弘貴さんとの共作。実際の作品を見た方からは 「音が聞こえる」「不穏な気配」「物語が生まれてくる」 ・・・さまざまな感想をいただきました。 ぜひリンク先へ飛んで、私の絵とともに中島さんの音楽を 聞いてみてください。 『交感Ⅰ』  http://nakasama.blogspot.jp/2012/03/3.html 『交感Ⅱ』  http://nakasama.blogspot.jp/2012/08/3.html

個展アルバム

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おもちゃ箱のような個展、終了。 台風も花をそえ、にぎやかに静かに3日間。 会場の写真(搬出前に撮りおき)はこちら 。

【個展】気の早い人が

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本日はギャラリーにて個展の作業。絵を壁面に飾っていきます。 オーナーさんがお客さまの第1号。気に入っていただいたようです。 他にも気の早いあやつが入り口からのぞいているのですが、 通りがかりの女性が寄ってきて、身をかがめ、この奇人の絵と同じポーズで見ていったのが、最高に愉快でした。 ・・・・そんなサマ個展、もうすぐです。(9/29〜10/1)

種をまかずば

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種をまかずば芽も出まい 水をやらずば葉も出まい 日差しもなくば育つまい ・・・・ せっせと種をまきました 大事に水もやりました あとは皆さんの日差しが ふりそそいでくれますように 本当にそれだけ

9月 絵描きライブのお知らせ

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9月は【サマ個展】のまえに【絵描きライブ】があります。 夏の夜の夢も見納め、ほわほわと奇妙で愉快な夜会は こちら。 『オランさん(アコーディオン)とサマ(絵描き)のライブ』 ●9月14日(金)19:30〜 池尻大橋チャドにて ●Charge 2,000yen+1drink order ●チャドのお店 目黒区東山3-15-14  TEL 03-3710-8731 「空には木琴が浮いているのです」と聞いて、もし あなたの心がフッと動くなら、ぜひオランさんの演奏を 聞いてみてください。 ・・・・・ ライブ終了。お絵かき完成。今回は図画工作。 オランさん・江森孝之さんの素晴らしい演奏があればこそ。

サクッ工作

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今回の個展は、工作の個展でもある。 パネル、小物、テクスト、お遊び。 切ったりはったり、粘土や針金もつかう。 今日はこの箱を試作、壁に貼ってみた。 絵が飛び出せば、意味も空気も変わる。 絵は飾られることなんか望んじゃいない。 空間へはみ出し、漂って飛んでいきたいのだ。

ハッコウしゃ(個展会場)

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サマ個展でお世話になるギャラリー「ハッコウしゃ」を訪問。 古いたたずまいにペパーミントグリーンの塗装。 こぢんまりと上品な空間。大きな窓もうれしい。 この中へ『ビル猫』も『天空キリン』も『奇人』も、大きな綺想画から小さなカードまで、すべてが集結。‥‥にぎやかなおもちゃ箱。 小さくて大きい、遠くて近い 不思議な綺想空間を演出します。 最初で最後、たった1度のキッチュ味あふれる個展。「2012年のあの個展!」と語ってもらえるように、味わい深く記憶されるように。 ◉サマ個展は、2012年9月29日(土)〜10月1日(月)。ギャラリー「ハッコウしゃ」にて。

鍵語メモ

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なるべく規格外の個展にしたいと思う。たとえば、レーモン・ルーセル (奇妙な器械や生き物が登場する小説を書いた) をとばくちに、その影響を受けたフーコー (禿頭・眼鏡の思想家) 、デュシャン (ガラスの作品が割れて喜んだ芸術家) の著作から鍵語 キーワード を ひろったりながめたり。 巨大な寒暖計を入り口にさす? ピンと来る人はいないかな。 ①ギャラリーを「何かの箱」に見立てる ②作品を空気にさらす まずはこの2点から。

拝啓、個展案内状を制作中の由

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出来上がったあかつきにはたくさん配布いたしたく。 奥行きのある、何層にも広がる展示空間にしたいな。

あなたの額(ひたい)が額(がく)

私は完成した絵は額に入れたいとは思わない。 額装は、絵を囲いこみ世界から孤立させる閉じた空間、あるいは演出・権威付け・誇示・主張・注視の発生装置。 私の絵は、宙に舞って空気に溶けていく、そのあやふやさの間へ投げ出しておきたい。意味と筆線が、ふわふわ浮遊しはじめる瞬間!‥‥それが「個展」の場であればなおよい。 そして絵は浮遊して、見る者の、あなたの、その額(ひたい)にバッと張りつく! ※ 額(がく)はむしろ、描きかけの絵に使おう。ひと思いに描きたいのに中断せざるを得ない絵なら、それがどこかへ流れ去らぬように、しっかと額に納めておく。情緒的な時間よ止まれの用として。 ※観覧者がみな、額(ひたい)に私の絵を貼りつけて漂っていくさまを、絵空に夢む。

風呂敷ナイト@吉祥寺

各人が 各様 各柄 各大きさ の「風呂敷ばなし」を広げて楽しもうという「風呂敷ナイト」。 雨降り吉祥寺で落ち合った私と、中島弘貴+尾崎ミオ各位 は両名ともTwitterで知り合った友人である。 (ネットはリアルのための道具にしかあらず!) 中島さんおすすめの古書店など回遊し、タイレストランにて150分。 印象的だったのは尾崎さんの語る「時間は線でなく点でとらえることの、妙」。 「今」の、一瞬間のひとコマを見出し自由な生を感じること。 私自身は揺るぎない時間軸上の「人の遅延性」に注目しているから、尾崎さんの話とは相反するのだが、一方で深い共感もあった。 つまり「過去から今に至る、自分や世間がどうこうを、ぶっとばせ!」。 今・ここ・自分と世界 それだけ 。 今、おれは あたしは わたくしは、何をし何を感じるか? だ。 過去の妄執たる亡霊を引きはがせ。それはあの晩に味わったタイご飯にも負けぬ、スパイシーさ。夏にぴったり。 ※あの時こうだった、これはこういうものだ、自分はいつもこうだ‥‥ そういう経験や価値観を切りはなして、  自由な感覚になるための「スイッチ」があるといい。

内面は歌わない

と笹山さんは言った。昭和歌謡デュオ「泊」のボーカルである。 相棒の武村さんが「あいつは今のモリッシーやと思うてます」「じゃあ今のザ・スミスって一体なんやろという話なんですけど」藤山一郎なにするものぞの二人組みがザ・スミスになる日。その間をつなぐ変換装置ってなんやねん? の混沌が武村さんの中にある。この混沌はひどく刺激的だ。 別次元だからこそ、つなぐことで面白愉快が生まれるんちゃいますか? であるし、全然ちがうと思ったけど同じじゃん! という発見もあるやもしれない。とかくおつむは柔らかくありたい。ほな。 「泊(とまり)」は2002年に大阪で結成された 笹山鳩さんと 武村篤彦さんの異色昭和歌謡ユニット。 サイトはこちら。

まだ描いてないが もう描いてしまった絵

サマ式 山水画を描こうと思っている(いつも)。うねくる大地に、有象無象万象、こまこま描きこんだ大迷図。風景のマンダーラ、パノラマ大伽藍。絵の中に迷いこみ遊び呆けられる、永遠の空間。まさに桃源境、悦楽至極。‥‥のイメージが、私の頭の中には雲のごとくにわいているし、あなたもそうかもしれない。 これからそういう絵は描く。でも、なんだかもう描いてしまったかのような心地がする。ただ「表明」だけがあって、実際にはない作品 は、確かにある (ないけど、ある) 。そういうものを満載した妄想博物館が、胎内から宇宙まで永遠にくり返す入れ子として、ここかしこ 宙をさまよっているのでございます。 (と カルビーノ『見えない都市』を気取る)

読まれる? 読まれない?

       その文章を「読む」「読まない」の基準は何だろう。あるいは、ワンクリックの重さ。「リンクからどうぞ」とあっても人はクリックしない。コメントはもっとしない。見えない壁。だからこのブログはクリック不要で、ケバケバしく、こんなにも丸出し。大声で叫ぶ記事、小声のつぶやき、たれ流すスライドショー、のさばるイラスト。つまり 不安 なのだ。盛ること詰めこむことで「壁」をぶち破れる? それはわからない。‥‥暗闇に石を投げかけている いつも。   

スキマカードの術

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このようにカード*に絵を描いている。 日常が多忙になると(野暮な謂いだが)絵を描くまとまった時間がない。そこで小さな絵を描く。5分10分、スキマ時間で描く。欲求不満もおさまり、なかなか調子がよい。 仕事が詰まっているときにかぎって発想が湧く(心そぞろに)。さっとカードに描く。不可思議な夢を見たら、それもカードに。Twitterで読んだだれかの面白いつぶやき。またそれも描く。 描いたらネットに。反応があれば快哉、ニヤニヤ。‥‥おっといけない、仕事に戻らなくては。 * 5×3インチ(125 x 75mm)の 「 歴史的」サイズ 。 図書カードや情報カードのたぐい。 追記) こちらのサイトにカードをまとめました。http://sama-mode.overblog.com/

イリュージョン*

と、立川談志さんが独自の言い回し。 「なんだかわからないもの」 本当のところはなんだかわからない。人間の考えも存在も、 突き詰めれば、自分たちにはもうわからない。 わからない何かに、おかしみが生まれる源泉がある。 愚かしさ、哀しさ、滑稽さ、尊大さ。 みな  幻想的な何か  から生まれるのだろう。 *イリュージョンは、白い幻想、黒い幻想は、デリュージョン。デリュージョンも面白そう。

(瞬間的な かわいげのない)改訂!

ブログって何だ? 「初心」 *に立ちかえり、ここをリニューアルしました。 お目々をおっぴろげて、ご覧あれ。 (スマフォじゃわからないよ!) *(blog 最初の記事より) ここは自分の庭として、思いつくままを書き、書くことで満足し、 あるいは削除したり、書き直したりするだろう。 私があらわになる場。こころのころもを脱ぐ洗い場 。 無知やら愚鈍さやら、わららわららと零(こぼ)れていく。 ビスケットを食べたあとのジュウタン、みたいだ。 デザイン変われば、以前の記事のニュアンスも伽藍!と変わる。ご覧のとおり、出しゃばり・素っ頓狂(すっとんきょう)なブログにメタ盛り。大きな文字はダテじゃない。金波銀波の波こえて遊ぶクジラの白面さ。ググッと画面を広げてギラめく曼荼羅模様。極楽極彩・森羅万象、何でもござれ‥‥の 始まり始まり!

率直なる直情

猿まね。ape(エイプ)。 私の絵 は、まだヒト様には遠くおよばず、始めたて生まれたての「サル段階」。自分の内面にみつけた「おかしな端切れ」を、面白がって線をつないで絵にしているだけ。それでも誰かしら何かしらプリミティブ(素朴・幼稚)な心には響くし届く。なんて快哉! 私の中に皆様のカンノウ(感応・官能)を求めるヨッキュウがあり、そういう絵になる。 つまり「おもしろかろう?」「おもしれぇ!」。 サルなり阿呆なり私なりに、ヒトの視線が突き刺す接点、網膜に にじむ瞬間を考える。 私の個展は立派なガクブチなどなく。私はポツンといて、聞きたい人には話し、話したい人には耳を傾け、見たいだけの人にはそっとそのままに。だからもあもあちゃんにも、きときとさんにも、個展に来て見てほしい!が私の率直直情なる願いでございます。

おもちゃ箱スタイル

この秋の個展。発光するサマの3日間。 ギャラリーの器がレトロな空間なので、私の見世方も おもちゃ箱みたいに。「まるごとそっくり持って帰りたいなあ」と 思ってもらえれば幸い。どんな展示かは、河原で石をつかんで、投げては ぽちょんと まだそのくらい。少しずつ。 絵(2次元)- 展示(3次元) - 人と人(言葉) - 時間(うつろい) この4つのベクトル線。これをどうにか3日間の個展でうまく交わらせられるか? それとも交わらせそこねて尻切れて、ふにゃふにゃ逃走線を描いて消えゆくか? ‥‥いやなんのなんの、この個展はきっと面白くなります。

ライブ・個展のお知らせ

●5月4日 Flying Teapot(西武池袋線 江古田) サマ(絵描き)+中島弘貴(ギター弾き語り)ライブ 2番目の演奏=19:00過ぎからになります。 http://blog.livedoor.jp/flyingteapot/archives/52009678.html 中島さんの音はこちらで聞けます。 http://soundcloud.com/rittainakashima ●2012年 9月30日(土)〜10月1日(月)3日間限定 サマの個展!(+絵描きライブもします) 東急東横線 都立大学駅からすぐの ギャラリー 「ハッコウしゃ」にて。 詳細はまた後日‥‥ 追記) 先日のライブで描いた絵をアップ。 http://instagr.am/p/KWTc_xvnZJ/ 左がオランさんと、右が中島さんと。 うちの壁に貼ってます。 追記の追記) 9月のサマ個展、タイトルを「発光者」にします。ギャラリー名にかけてわかりやすく。 で、来年は「発酵者」にして 再来年は‥‥

筆の身体感覚

筆を持つと、体の動きが変わる。 ペンは「書くか・書かないか」の「はっきりした閾(いき)」がある*。筆は「スッと入って、グッとぬける」ふわっとしてる。 筆を紙からはなすとき、心と体も紙の上からはなれる、という実感がある。だから紙の上に気持ちが残っているのがわかるし、描いた線が饒舌(じょうぜつ)になる。 筆を紙からはなす「出」に合わせて、なぜか体も余韻を求めるように動きたがる(!)。踊るようなその感覚を発見。それはライブ・本番!という緊張感・集中力のなかなればこそ。 さらに私の場合、ペンで描いたものは建築物(構成物)となり、筆なら 情緒・ゴースト・大気‥‥何かそんなものになる気がする。 *ペンは、描く瞬間にペン先に気持ちがいくけれど、そのあと描かれた線は置き去りにされる。

ライブ絵描き 七つ道具

スケッチやメモ帳に 描く絵、ペン先は0.5ミリ。 では  壁に貼った1,000ミリ(つまり1メーター)あまりの紙を 10メーター離れて見るなら、何ミリの太さで絵を描けばよい? 私の答は、筆。 それは「万能筆記具」です。考えてみてください。細い線から太い線まで描け、やわらかな曲線も自由自在。手首の回転にピタリと反応してくれます。カスレなどの効果も期待できます。 一方、極太サインペンはほとんどが四角い芯。曲線を均等幅で描くのはむずかしい。角をナイフで削って丸く‥‥してみたものの、うまくいきません。 結果、おなじみの筆ペン(太字)。墨にひたさねばならないという面倒もありません。 さらには、顔料インク。より黒く、濃く、うらに染みません。染料だと染みこむので、うら移りします。筆ペン太字 + 顔料インク。この組み合わせは、ライブ絵描きにはとてもよいと思いました。 つづきは「七つ道具」の残りについて。

オラン+サマ ライブ報告@ウッドストックカフェ

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4月4日、やさしく素直にライブは始まった。 カフェの中だけ ぽかぽかと春めいて。 外の世界とはぜんぜん違う時間が、のっそりと流れ出す。 カフェが動き始めたのだ。 前日、オランさんからのメール。 「ふうわりとした音を出したい」と、ひと言。 ‥‥そっか、まっさらでいくんですね。と  私も余計な思考をピタッとやめた。 当日、たいした打ち合わせもなく、本番へ。 居心地のいいカフェ オランさんの「音」と「間」  お客さんの気持ちのさざめき‥‥ 全部がみるみる集まって、私を通って 筆先から流れ出る。すごいね。 私という全体が「透明なツール」*になる。 そして完成。どこにもない音、どこにもない時間、 どこにもない気持ち を閉じこめた絵がそこに。 それは、オランさんの「演奏記録」であり、 今宵この場の「全員の記憶」。居合わせた人たちだけの、特別なもの。秘密でない秘密(!)。 ※まるで絵描きのシャーマンみたい。その場・その時・その人々すべてを「寄せて」+「絵にする」。 「寄せる」といえば「寄せては、かえす波」。絵を描くことは「かえす」こと。波はさざなみ(漣)。

まるごとまるむ

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正月をやって2月に中島さんに会い3月は展覧会の絵‥‥時の流れがスルスル早くてソワソワ。ぼんやりしているのか、いや、ぼんやりはいつものことだけれど、過ぎていった日々がこれまたずいぶん遠くに小さくなって遠い目、かざす手のひら、春の陽気。 ★ アコーディオン弾き語りのオランさん ライブに、絵描きで参加。 今週水曜4月4日@ウッドストックカフェさんで、オランさんの演奏+サマの絵描き 。 いつものごとく見世物のごとく、自由自在にメタ盛る絵描きをお見せしたいところだけどやっぱりやってみなくちゃ幕を開けてみなくちゃ何がどうなろきゃあなろたい*。‥‥あのオランさんの、夢のような曲と演奏。はたして私の絵描きはついていけるのかな。 そもそも私は格好つけるほどの才もない。ヘタであるしミットモないしギコチない。ならばミットモもギコチもほっぽらかして、素直に愚直に。それで何が出てくるか、おてんとさまでもご存じなし。 カフェという名の小さな箱の中、音とお酒と絵と笑顔。そっち(客席)と こっち(演者)じゃなく、そっちもこっちもみんな。まるごとまるめて。どうかそんな愉快な時間を 皆さまといっしょに描けますように。よかったら、ぜひ遊びに来てください。当日は『奇人圖譜』(冊子)をたずさえて参ります。アカチャカベッチャカ チャカチャカチャー* *「おてもやん」より。陽気で妙ちきりんな歌詞。サイコデリシャス。

アンデパンダン抄

六本木をそぞろ歩いた先の、ガラスうねるビル。国立新美術館。でアンデパンダン展を見た。「作家の自主性と真の豊かな創造性を保障する」自由な展覧会をうたう。歴史的なアッピール?などは存じ上げず。胎動、動機、混沌、爆発‥‥をイメージして展示室へ。 たくさんの作家、作品。ゆうに千点以上。「ここで終わり?」と思った時点がまだ半分。 立体が分解している超現実的な絵。鉄材をモチーフにしたシュールな絵。奇妙な竹林に女とキツネ面の絵。震災の絵も多い。展覧会全体、トーン低く重々しい。でもドロドロではなく、清冽・真摯な意志を感じる。 彫刻・インスタレーションにも面白い作品が。新聞紙などを同じ幅で切り、束ねてうねる模様にしたレリーフも素晴らしい。密集した紙の断面がつくる不思議なテクスチャ。遠くから見るとグレーの綱のよう。「地球脱出」。月のようなものに抱きついた小さな親子。かわいらしい造形+アイロニーも。 海外からの招待作品もあり。これが独特。全くちがう、魅惑的。 なぜだ。くやしい。 さて、期待していた「爆発!」は なかった。「喪明け」はまだなのだろうか‥‥。喪を引き裂き、やぶり飛び出てくるものへの期待。ちょっと気が早いのかな。 小学校の子どもたちが作ったカラフルなお面の展示があった。彼らが書いた使用説明書には、 「きらきらした光」「からだがきれいになる」「ほうしゃのうばいばい」‥‥と、お面のもつ絶大なる効果。いやいや、素晴らしいのは その形と色の荒唐無稽な美、エネルギー。小さな人たちでさえ、ここまで昇華しきっている。喝采だ。 すべてを見終え、私は「心の裂けめから発芽する、希望のような力強さ」を欲望している。

V時現象

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世の中 悲嘆沈鬱という喪服が普段着となって久しい。 が それを脱ぎ捨てちまう、その転換点がきっと来る。 ひょっとしてそろそろ?‥‥そんな気配 ニオイ。 下向き目線が " あるとき不意に " 晴天に 向けられる。 新しい( あるいは 幾度目かの)感性が・発想が・瞳が・生が・ドパッと開かれる。つまり「V」の字の下のとんがり。Vの時。 フェアフレムドゥンク。 瞬間、何かがはじけ、まばゆくスパークする。 グレーの世界へあふれ出る 色とりどり・形さまざま、つまりサイケ! サイケデリシャスなもろもろ、騒々しくにぎやかに、あっちでもこっちでもわあわあシュウシュウ吹き出だしてくる! ‥‥そんな幻視。 今これからの2010年代に、あの1960年代(!)に似た空気を予感しているのは、私だけか。 暗闇にぶちまけてゆく、光のあでやかさ。私も私の光をギラギラと放射していこう。 心はまさに もだえ、笑う*。 ※最近よく「嗤う(わらう)」の文字を 見かける 。 「嗤う」はあざ笑い。ブラック。 「笑う」は声を立てる笑い。オープン。  わらうなら、口をあけて笑え。

4分の3 へ

「さて」‥‥です。 3月がおわれば、4分の1年。 残り4分の3、どうするか。どうおもしろくするか。 3/22〜4/2 アンデパンダン展(『葬層』を出品  )六本木 国立新美術館 4/4 オランさんとのライブ(アコーディオン弾き語り+サマの絵描き)お茶の水 ウッドストックカフェ 4/30 新『奇人圖譜 百体百様』紙の本でも出版(現在79体まで描けました) 5/4 (仮)中島弘貴さんとのライブ(ギター弾き語り+サマの絵描き)江古田 フライングティーポット その他 ・中島さんとの共同制作『交感』第2弾〜 ・絵メモ(サマカード)制作 ・ふすま絵の制作 ・カフェなどでの作品展示 ・作品カタログ自費出版(今までの作品を一覧するもの) そしてさらに 面白いコト・モノ 新しい人たちを求めて。 よろしくお願いします。 ※あたまの中にはもう、来年やりたいことがフツフツコンコンと。鬼は笑わばよし、狸は皮算用すればよし。

『葬層』について

「アンデパンダン展」へ作品を搬入した。 今回出品する『葬層』はB1サイズの画幅。 最下層にはおしよせる狂った波々、を描いた。 次の層は、粉砕され一緒くたになった構成物が堆積する。 さらに大きく画面を引き裂く稲妻の白、それは悲しい音なき叫び。 やや上の層に原発4棟、そこから立ち上る不気味なうねり雲。 そして最上段の部分。 がれきの山が堆積し、ショベルカーの黒い影。 しかし、新しい日がのぼり、まだ弱々しげだが 柔らかな光が満ちてゆく‥‥ 画面中央には、悲痛な表情の顔、大粒の涙を描いた。 この顔は、激しい線にまぎれていて、気づかれないかもしれない。 ‥‥嗚咽にまみれて描いた部分だ。 その私の思いが今日、たくさんの方の作品の海へと渡っていった。 どうか無事展示され、多くの方々に見ていただけますように。 ※搬入会場ではたくさんのボランティアの方たちが親切に作業をしておられました。心から感謝いたします。 ※「第65回 日本アンデパンダン展」は3/22〜4/2 六本木国立新美術館にて。

描き上げられた葬層

線をつらねて、層をつらねて、思いをつらねて。 3日間、無言、祈り、集中の作業がおわった。 その絵のタイトルは「葬層」。 なくなられた御霊の数に、およぶだけの線を 私は引けたのだろうか。 描き始め、思いは心層に埋もれていたのだと思う、 急に涙があふれ出した。 描いても描いてもあふれて止められなかった。 本当の嗚咽だった。 下から描きはじめ、絵は一番上に、 朝陽を描き入れて出来上がった。 稚拙で、心のままで、私をぶつけただけの絵だ。 この気持ちを忘れないでいたいと思う。 そしてまた明日、新しい陽は昇る。

めぐってきた日

中島さんとの共同制作、その初めての試みが終了し、音と絵による新世界がひとつ生まれた。私はもう次の制作で頭がいっぱいだ。 あれから1年。人々の未だ生々しい記憶とともにある、 あらゆる思い、私の思い。 すべての悲惨と不幸に向けて、私自身の心の中から紙の上へ、新しい線を紡ぎ出すことを決心した。自らにおいて忘れぬことのないよう、心に刻み、鎮魂の祈りとともに、ひとつひとつの線を まっさらな紙へ刻みつけよう。 展覧会へ出品するためには、時間が残り少ない。それでも描く。 そもそもはのんびり気楽に描くつもりだった。しかし今。 特別なわき上がる思いはどうしても止められない。避けられぬ。 それで何かを変えられるわけではない、わかってはいるけれど。 ただ絵を描くことで祈りたい。 この数日の、この一年の、日本中の世界中の多くの祈りとともに、 私の心もそこへ添えたい。

good one

はじめて GWANさん のライブを聴きに。 一曲目、ボロロン‥‥と『存在の確認』だ。 いきなり確認されちゃうのだろうか、と不安がよぎるものの、そうではなくて「あっちの」「あっちには」とゆっくり指をさすように、世界を眺めわたす歌だった。かわいらしい女の人をうたった歌や、『酒飲みの唄』みたいな曲もよかった。ジャブジャブ酒を飲んでこないとうたえないような歌だと思う。酒飲みは仕方ない、ゆるしてやってよ。ぼろぼろだけどそれが幸せなんだよ。人はみな愚かなものだよ、と。それから『窓』。「まど」ということばをくり返す印象的な歌だ。「好きなので歌ってみました」人の作った歌も歌えるようになってきた、と はにかむような笑みで。 でも それだけじゃなかった。 ベルトルト・ブレヒトの『あかんぼ殺しのマリー・ファラー』。長い曲で、しかもテーマがずしりと重い。悲哀をたっぷり含んだ、8分間の小劇。ギターの最後の音の余韻に「あなたはどう思いますか?」の問いが感ぜられた。 私は前の記事で「(人と人が)触れたときには、小さな火花がチリチリ散る。」と書いた。GWANさんの曲でそれは、「草と草のふれあい」として歌われている。名もない草と草が、風にゆれてふわっとふれる。そういう出会いの優しさを漂わせた曲を、アンコールとして。ちょうどよかったと思う。 ‥‥終わりからまた始まる。出会いとともに始まる。 カフェのドアを開けると、そこは真冬の街。北風をくぐり抜け、家にたどりついた私は、ライブの余韻を「湯たんぽ」がわりにして、眠りについた。 (※GWANさんのサイトへはクリックで)

コーエン・ジ・コンビナトリア

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それは先日のこと。たなぐもる空から かぼそい雨。 その線の先端、には高円寺。 「立体」という、不思議な名前の音楽グループがあった。中島弘貴が彼の友人と2007年に結成、2011年まで活動。ライブでは、延々と即行演奏を繰り広げるなど、たゆたう独自の音楽空間を創り出してきたそうだ。 ツイッターを漂白していた私は、たまたま中島さんと出会い、 「どうですか」「いいですね」。 小さな「つぶやき」ただそれだけ。 私はまもなく中島さんに会うことにした。 (約束するのに「こんど」「いつか」は使わない。) ‥‥そして高円寺。古くておもむきのある店。テーブルにはスケッチ一冊。次から次へとわき上がる話を、絵を描くようにそこへ書きとめていく。できあがったのは、一枚の「おしゃべりスケッチ」。 話はめぐってひとつの円(縁)をむすんだ 「コラボ」なんて、はやり言葉は何やら奇っ怪だけど、単純に面白いことを企(たくら)み、「やってみようか」そんな パラッとした感じ。即決即行・軽やか滑空。さっそくの手はじめ、「音楽と絵の共同制作」。パッと 専用サイト を作り、スタート。 ネットもツイッターもかくあるべしと思う。私にとってツイッターはこの世界への拡散装置。自己の増殖、未知への接触。触れたときには、小さな火花がチリチリ散る。ネットはリアルのため。言うだけ見てるだけじゃ つまらない。 阿呆船の阿呆がごとく、海の彼方へ乗り出してゆきたい。 今年はたくさんの人と会い、さまざまな「おしゃべりスケッチ」を作っていきます。

【夢490】

(夢490番は長くてツイートしきれないため、このブログに記す) 古い家が密集するせまい壁の間 植木 ねばっこいクモの巣々 身をかがめ逃げる 追っ手は影のような黒い者たち 糸を破って進む 大きなクモが怒る なぜこんなことになったのか‥‥ コタツに入って父と会話 テレビの相撲中継に映る力士 の名は「藤森」 マゲは結わず 長い黒髪が肩から腕にかけ波打っている 歌舞伎役者のような赤ら顔 山のような体躯「あれは強いぞ 藤森を慕う者は多いんだ」 藤森は”特殊級横綱”で 人望も厚い実力者「〽藤森の〜 なりゆきて〜」父が詩吟する‥‥ ところ変わってタクシーの中 喪服姿の中年の男女 位牌を抱いた男「やつらになど負けない」故人の無念を思い出し 自分にカツを入れるという「だが気をゆるすとな ふうっと忘れそうになる やつらの力が働いているせいだ」やつら あの黒い者たちの群団 藤森は精神的エネルギーを発し 人々を守護している しかしそれをけっして意識してはいけない その途端 やつらは藤森の役割を察知し 手を下すはずだ 私も藤森の存在をイメージしないよう努めたがゆえ やつらに狙われることになる‥‥ (文頭に戻る)

シミュレ・ミシュレ

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壁に貼りだしてみる。鑑賞者のいない個的展示会。 さて 貼りだすことで、張り出すものはあるか。ムクムクと? ‥‥このシミュレーション が 新たに気づかせてくれたもの。 たぶん彼らは、文字との邂逅(かいこう)を待っている という気配。 とはいえ絵々はそのまま寒々しそうに、 プラトーに置き去りにされている。今はまだ。

おいてけテイケー

テイケーは定型。おさだまり。 英語や日本語に文法があるように、音楽にも決まった仕組みがある。和音、リズム、音階のつぶつぶ。構成要素がはっきりしている。ピアノの鍵盤をめちゃくちゃにたたいても、曲にはならない。 ひるがえって絵画は? 線も色も、限りない。無限の階調がある。あるけれども、まったく自由かというと、どうやらそうでもない。 たとえば、構図。人や物を描けば、わかりやすい方向になる(する)し、したくなる。そのものがよくわからない「とんでもない方向」から描いた絵なんて、あまり見ない。たいていは人の視線・視界を意識して描かれるもの。 そうでない常識からはみ出した絵々は「意味がない」「わからない」と言われる底に落っこちる。芸術家は創作し、と同時に「だれか」とも向きあっているのだろう。

猫になる猫にのる

ビル猫の風太 が背中にしょっているビルの 窓の明かり どれかは必ずライブカフェです。カフェの箱はお客と音楽を飲みこんで、大きくふくらんでいきます。 そういう猫なのです。 じゃあまた少しだけライブの話。 先日「ウッドストック・カフェ」にゆき、 オランさん * と 江森孝之さん * のライブを味わってきました。 「ギターがいるとやっぱりいいですね。アコーディオンと正反対、の音が、すごくいいです」 すごくいいです。オランさんの言うとおり。 江森さんのギターは手先指先じゃなくて、体全体ではじいてる と見た。「弾く(ひく)」ことは「弾く(はじく)」こと。気持ちが、足から腰から前かがみの背中をぐるっと通って指先に、それで弦をグッ 弾いてひとつの音。 そこへつやつやとしたアコーディオンの音色 がやってきて、わき起こる楽しい景色。 それはどんな世界? あなたも「猫の背中のどこかの窓」にもぐりこみ、絵本のようなその音楽にひたってみればわかります。 ひとりの聞き手じゃあありません。気がつけばもう音の絵本の中の登場人物となって‥‥。まずは少しの勇気と好奇心をもって、そのお店のドアをギッ と あけてみてください。 夜の街は猫の背中に。 *ふたりのお名前をクリック、それぞれのサイトをご覧になれます。ライブの予定なども。

ライブハウス私感

夜です、たいていは。 知らないライブハウス のドアノブに手をかける。やや緊張して「クイッ」ひねる。知らない世界へのとばり が開く。 狭いです、それもたいていは。 もうすでに 人、椅子、音楽、言葉、酒 ごっちゃになっている。混然空間。もうゆくりなくゆとりなくそこへ、混ざりこんで座るしかない。そんな前線で<個人的境界線>は フッとかるく飛ばされる。まるっと丸腰。 そこにいるそこにある、人だったり妖怪だったり奇人だったり、構造物だったりスライムだったりが、パホーマンスがはじまる頃には、全部とぐねぐねに溶けゆく心地。口紅も、ピックも、キーホルダも、シガーケースも ゆっくりうずを巻いていく。 だれかの耳は 私の眼、あなたの歌は だれかのため息。 指で 宙をなぞるジャイブ = ほれました、よいました、たのしみましたのサイン。壁の落書きはひとりでに歩き出すし、大事にしまわれたネームカードはいつも行方不明。 地図を忘れた街の影の、底っちょにある小さな箱 から流れてくる音楽。音符のうらがわには、たいてい 気持ちこってりの詩 が書かれていて、意味は全くわからないのに、なんだかとてもよくわかる。‥‥ぶらんぶらん、箱酔い。 みんなぶらんぶらんと揺れはじめ、箱もどんどん膨(ふく)れだし、今夜も街を包みこむ、包みこむ夢を、箱が見ている。箱の中で、私が見ている。 それが私にとってのライブハウス。

アルチンボルトか国芳か

マニエリスム*で軽くくくれてしまうような御仁  ではなく歌川国芳、である。 芸術家・絵師のように格好つけるもなく、洒落好きダジャレ好き、大胆繊細反骨気骨。「おもしれえだろ?」そんな声が聞こえてきそうな「国芳展」をそぞろ観想してきたので少し感想。 まず、手足の「指」の描き方が好みだ。ぷりぷりとして良し。私も普段そう描きます。さらに武者絵の筋肉は、古松の幹のごとく奇異なほどに隆々(りゅうりゅう)、それもまた良し。 ヒレで立って歩く!金魚たちの愛らしさ、竜宮城では魚たちが舞い踊り(浦島太郎もこりゃあ帰りたくなくなるわ)の面白可笑しさ、水滸伝の豪傑、妖怪幽霊、ネコトラタヌーキ**、福助福神から地獄まで。 画面いっぱいジグザグの、「赤い」稲光。こまかい集中効果線、まさに現代劇画のルーツかは‥‥と等々、そのザ・ワールドを語るに枚挙イトマなく、以下簡単にふたつだけ、まとめておきます。

ハーメルン身悶え夜

先日、『イタチョコ座の怪人』第一夜 に参じた。 ライブハウスの舞台には、ラショウさんと4人の仲間たち。 セリフ劇の合間に、悲哀とユーモアの入りまじった歌が入るという構成。 途中、ラショウさん作のiPhone用ゲーム*の発表も含め、わざわざ神戸からの出張公演だ。 <あらすじ> ある夜、俳優志望の女性が地下室の劇団にやってくる。 出迎えたのは、文字通り怪しげなイタチョコ座の怪人(ラショウさん)と、手作りロボットの助手。あきらかに女性の目的とはちがう劇団。しかし強引でとんちんかんな勧誘を受け、入団するはめに。 女性と助手は「鼠」役となって、今度はイタチョコ座の怪人をたぶらかす。鼠たちは怪人が作った「鼠格(鼠の人格)」を有し、しかも二役を都合よくクルクルと使い分けながら、怪人を「ハーメルン**」に仕立て上げる。その見返りとして、ふたりは際限なく怪人にお米をねだるが‥‥ 劇中劇のハーメルンがいい。 となりの部屋から聞こえてくるミシンの音。自分もギターを弾いて、こっそり合わせてみる。そして売れ残りの「人形」たちの歌。椅子から立ち上がり身悶えるジェスチャー、叫ぶような歌声。狭い空間にはもったいない。広い舞台があればいいだろうになぁと思わせる、ラショウさんの熱演。 すべては夢か?幻か? 現実の地下のライブハウス / 架空の「イタチョコ座」 / ハーメルンの部屋、ラショウさん / イタチョコ座の怪人 / ハーメルン、劇団員のふたり / 二匹の鼠 / 人形・ものたち。これらと、劇中劇も折りこまれて、すべてが二重三重に張りめぐらされた奇妙な幻想空間。 入れ子の空間を演出しきったラショウさん、素敵な共演者とともに、満足だったのではないだろうか。 「ぬぅぬぅ、はい!」(縫う縫う、針)  くねるように歌う姿がよかったなぁ。 *イタチョコシステム『あの素晴らしい弁当を2度3度』と、もう1本。2月にリリース予定とのこと。 **童話『ハーメルンの笛吹き男』より。不思議な男が笛を吹いて、たくさんの鼠をあやつり街から追い出す。

【夢466】

(夢466番は長くてツイートしきれないため、このブログに記す) ローカル線*で 架空の東府中に行った 閑散とした住宅地の先 少し開けた土地 に点々と廃墟となった 昭和初期ごろの木造建ての家々 すばらしく気に入る 「カメラ‥‥」私は携帯もデジカメも 忘れているのに気づく 高い壁の向こうでは工事車両が 轟音を立てている 「近いうちにまた来よう」 でも帰り道がわからない 遊んでいた男の子に 声をかけ 駅まで案内してもらう 駅舎のベンチ 電車を待ちながらジャケット姿の男と話す 彼がカバンを開けると うどんがたっぷり 薄い色のうどんツユを持ち 箸でカバンからうどんを食べ始めた 「これじゃ無理だ」見ると彼の左手がふるえている ふたりでそのふるえをじっと見つめるが 止まらない 気がつくと電車が来ていた 入り口に係の中年女性がいて 整理券を取れと促される 運転席で運転手がふたり 前の車両の運転手と 困り顔でボソボソ相談「大丈夫?」「まずいよ」「どうする」 三人とも若い女性 車内は黒い木の床に 安っぽい樹脂のひとりがけイスが ぽつぽつ 座るとやっと出発 運転手は中年男性に替わっている「20分遅れで発車です」轟音 ひどく揺れる 架空の八王子に着き 出口で運賃 係の中年女性が 料金がわからずあたふた 同僚に聞いてやっと「430円です」私はむっとして新しい長財布から 小銭をめちゃくちゃにまぜて 433円出す「あっ3円はいいです」と返され なぜかますます腹立たしい 駅を出て歩いていると 路地から 変な髪型の老人が自転車で飛び出してきた のでふり返り「危ないよ!」とめずらしく大声で怒鳴り** 小さな声で「 気をつけてね 」とつけ加えた 老人に「逆ギレ」されるのが怖かったのだ *筒井康隆 著『夢の木坂分岐点』に出てくるような市電。自分の深層心理に迷い込んでいくような、 奇妙な 入れ子状の小説。似かよった小説として『脱走と追跡のサンバ』も。こちらはさらに奇妙奇天烈で 好きです。 **夢で叫ぼうとしても、たいていは声がかすれ、何度か苦しみ、実際に叫びだしながら目覚めてしまうのです。

「龍」は全部入り

漢字「竜」と「龍」。 「竜」は西洋のドラゴン。「龍」は東洋風。そんなイメージ。 龍は皇帝のシンボル。皇帝だけに許された特別な意匠だった。 「おれだって龍がほしい」と思った昔々の中国のお役人、 いろいろな動物のパーツをよせあつめ、龍もどきをコラージュしてしまった*。 足の指も1本減らして4本に。つまり龍であって龍でなし。 パンダ じゃないけど パンダ、ガンダムだけどガンダム じゃない 、という軽業(かるわざ)。 そう、餃子でも肉まんでも、皮という皮、あっちではすべてが「分厚い」のだ。でも、食べたいのは・美味しいのは・楽しみたいのは、<具>の方。 そこへいくと、本物の龍。まさにコンテンツ。ぎっしり詰まっている、<具>。 なんといってもあの果てしなく長々しい胴。そこに、みっちりぎっしり、大量の鱗(うろこ)。大地にあっては「龍脈」という「気」の流れとなり、川となり海となり谷を刻む。 スケールがいい。猛烈にでっかい。 すべての漢字は「龍」の文字から生まれたという観想。さもさもありなん。山も川も木も森も、大地に涅槃する龍の体から「成る」。漢字ってそもそも絵なんだね。大昔の趣味人なんかが、しれっと酔狂で、大地の龍のからだの一部をデッサン。「この絵、山のことにしようよ」「いいね」 そんな感じで、漢字。 龍はそこにいるのだけど、あんまりでっかいので、見えているのに、見えない。人は、漢字や歌によって、風景を感じ、「ああ、あれが景色なんだ!」と自覚した。それは言葉が 景色(龍) を発見した瞬間。 と、ここまではものの本**にも出てくるようなお話。 私はこれに「時間」をかぶせておきたい。龍が見えないのはでっかいからでもあるけど、「遅くて早くて、さっきでこれから」みたいな 存在/非在 なのだと思う。つまりあれは、世界の、1本の、壮大な「時間軸」じゃないのかな。面白いね。どう? とにかく、あの鱗の一枚一枚の下には、なんだかいろんなものが隠されているみたいだ。 *上海の「豫園」という庭園にある、龍の彫り物 **たとえば『日本空間の誕生』阿部一、 『中国山水画の誕生』マイケル・サリヴァン、 『龍の住むランドスケープ-中国人の空間デザイン』中野美代子

【夢460】

(夢460番は長い夢で、ツイートしきれないためこちらに記す) 未来 港の倉庫街 「電子道化(どうけ)」がパフォーマンスしている ヤツは 大きなシルバーの手裏剣 をかざして 私と上司に向かって 投げつけてきた 狙ったように 私たちの足もとすれすれに 突き刺さる 酔っ払い・やさぐれたち やんやの喝采 「次は壁を突きぬけます」と電子道化 私たちの横をかすめ 2mほどの手裏剣が 倉庫の壁を切りさく 配電板が壊れ 電気が激しくショート 小火事 皆 興ざめの様子で解散 私は事務所に戻る ふと気になり 雑庫にいた後輩の女子に「まだ未来は残っているかい?*」とたずねると「見えるわ。テロね。機能マヒが起こる」 私はあわてて上司に告げる 二人で電動リニア車に乗りこみ 郊外へ急ぐ 後ろからは 見えない機能マヒの波が ぐんぐん押し寄せてくる 高速道の車も次々やられ 停車していく 最高速で飛ばし 何とか山間の場所に 車を乗り捨て 上司は入り組んだせまいくぼ地に ダイブ そのままシステムにジャックインする 彼は隔壁操作をし 無事 システム障害から中枢部を守る ゆっくりと下から 浮上してきた見知らぬ男「前の体は汚染で崩壊してしまったからな」上司だった よく見ると 借り物の体はまだ所々 ラグが残っていて不完全だ 私たちは車に乗りこみ 帰路につく ほっとする時間 運転をする上司の新しい横顔には まだ違和感をおぼえるが やがて慣れるだろう と私は思う *後輩の中に、未来のかけらが残っていた。我々は1本の時間軸の上にいて、過去から未来まで つながっており、 「ある点の自分」と「別の点の自分」がオーバーラップを起こすことで、記憶が前後する現象が起きる。 彼女はその現象に敏感なタイプなので、もしやと思い、 私は このとき彼女にたずねてみたのだ。 (以上は、この夢の中での理屈)

サマ的龍ノ年

新年あけましておめでとうございます。 「正月やさかいに何ぞ面白いことあらしまへんか」と、このブログにアクセスしていただく方も ありましょうやと思いつつ発想めぐらせておりますので暫しお待ちくださいますよう。 まずは辰年につけ、龍についてのあれこれなど後日あらためましてアップいたします。 さてもさても サマの今年は 1)大きい絵を描く(カンバスはふすま) 2)ライブ(音楽をやる方にご一緒させていただき) 3)古典的個展(場所が見つかり次第) 4)『奇人圖譜』を 紙の本化(文庫サイズ・奇人倍増 100人) 5)『奇 庵 圖譜』を描きためる(綺想建築のシリーズ) 6)作品をまとめてカタログに(A4サイズ) 他)ネットを飛び出し、音楽、演劇、舞踏 いろいろな方たちに会いに行きます (このブログを見てくださる方や、Twitterのフォロワー皆さんにもお目にかかりたく) いっさいがっさいひっくるめ、阿呆がごとくに軽々と、ざっぱざっぱと波こえて 龍の背中で舞い踊る、サマの二千と十二年、お気にめすまま気の向くままに 何とぞおつき合いのほど、そろりそろりと よろしくお願いいたします。 <1/22追記> 上記に「 6)カタログ」を追加しました。