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アンデパンダン抄

六本木をそぞろ歩いた先の、ガラスうねるビル。国立新美術館。でアンデパンダン展を見た。「作家の自主性と真の豊かな創造性を保障する」自由な展覧会をうたう。歴史的なアッピール?などは存じ上げず。胎動、動機、混沌、爆発‥‥をイメージして展示室へ。 たくさんの作家、作品。ゆうに千点以上。「ここで終わり?」と思った時点がまだ半分。 立体が分解している超現実的な絵。鉄材をモチーフにしたシュールな絵。奇妙な竹林に女とキツネ面の絵。震災の絵も多い。展覧会全体、トーン低く重々しい。でもドロドロではなく、清冽・真摯な意志を感じる。 彫刻・インスタレーションにも面白い作品が。新聞紙などを同じ幅で切り、束ねてうねる模様にしたレリーフも素晴らしい。密集した紙の断面がつくる不思議なテクスチャ。遠くから見るとグレーの綱のよう。「地球脱出」。月のようなものに抱きついた小さな親子。かわいらしい造形+アイロニーも。 海外からの招待作品もあり。これが独特。全くちがう、魅惑的。 なぜだ。くやしい。 さて、期待していた「爆発!」は なかった。「喪明け」はまだなのだろうか‥‥。喪を引き裂き、やぶり飛び出てくるものへの期待。ちょっと気が早いのかな。 小学校の子どもたちが作ったカラフルなお面の展示があった。彼らが書いた使用説明書には、 「きらきらした光」「からだがきれいになる」「ほうしゃのうばいばい」‥‥と、お面のもつ絶大なる効果。いやいや、素晴らしいのは その形と色の荒唐無稽な美、エネルギー。小さな人たちでさえ、ここまで昇華しきっている。喝采だ。 すべてを見終え、私は「心の裂けめから発芽する、希望のような力強さ」を欲望している。

V時現象

イメージ
世の中 悲嘆沈鬱という喪服が普段着となって久しい。 が それを脱ぎ捨てちまう、その転換点がきっと来る。 ひょっとしてそろそろ?‥‥そんな気配 ニオイ。 下向き目線が " あるとき不意に " 晴天に 向けられる。 新しい( あるいは 幾度目かの)感性が・発想が・瞳が・生が・ドパッと開かれる。つまり「V」の字の下のとんがり。Vの時。 フェアフレムドゥンク。 瞬間、何かがはじけ、まばゆくスパークする。 グレーの世界へあふれ出る 色とりどり・形さまざま、つまりサイケ! サイケデリシャスなもろもろ、騒々しくにぎやかに、あっちでもこっちでもわあわあシュウシュウ吹き出だしてくる! ‥‥そんな幻視。 今これからの2010年代に、あの1960年代(!)に似た空気を予感しているのは、私だけか。 暗闇にぶちまけてゆく、光のあでやかさ。私も私の光をギラギラと放射していこう。 心はまさに もだえ、笑う*。 ※最近よく「嗤う(わらう)」の文字を 見かける 。 「嗤う」はあざ笑い。ブラック。 「笑う」は声を立てる笑い。オープン。  わらうなら、口をあけて笑え。

4分の3 へ

「さて」‥‥です。 3月がおわれば、4分の1年。 残り4分の3、どうするか。どうおもしろくするか。 3/22〜4/2 アンデパンダン展(『葬層』を出品  )六本木 国立新美術館 4/4 オランさんとのライブ(アコーディオン弾き語り+サマの絵描き)お茶の水 ウッドストックカフェ 4/30 新『奇人圖譜 百体百様』紙の本でも出版(現在79体まで描けました) 5/4 (仮)中島弘貴さんとのライブ(ギター弾き語り+サマの絵描き)江古田 フライングティーポット その他 ・中島さんとの共同制作『交感』第2弾〜 ・絵メモ(サマカード)制作 ・ふすま絵の制作 ・カフェなどでの作品展示 ・作品カタログ自費出版(今までの作品を一覧するもの) そしてさらに 面白いコト・モノ 新しい人たちを求めて。 よろしくお願いします。 ※あたまの中にはもう、来年やりたいことがフツフツコンコンと。鬼は笑わばよし、狸は皮算用すればよし。

『葬層』について

「アンデパンダン展」へ作品を搬入した。 今回出品する『葬層』はB1サイズの画幅。 最下層にはおしよせる狂った波々、を描いた。 次の層は、粉砕され一緒くたになった構成物が堆積する。 さらに大きく画面を引き裂く稲妻の白、それは悲しい音なき叫び。 やや上の層に原発4棟、そこから立ち上る不気味なうねり雲。 そして最上段の部分。 がれきの山が堆積し、ショベルカーの黒い影。 しかし、新しい日がのぼり、まだ弱々しげだが 柔らかな光が満ちてゆく‥‥ 画面中央には、悲痛な表情の顔、大粒の涙を描いた。 この顔は、激しい線にまぎれていて、気づかれないかもしれない。 ‥‥嗚咽にまみれて描いた部分だ。 その私の思いが今日、たくさんの方の作品の海へと渡っていった。 どうか無事展示され、多くの方々に見ていただけますように。 ※搬入会場ではたくさんのボランティアの方たちが親切に作業をしておられました。心から感謝いたします。 ※「第65回 日本アンデパンダン展」は3/22〜4/2 六本木国立新美術館にて。

描き上げられた葬層

線をつらねて、層をつらねて、思いをつらねて。 3日間、無言、祈り、集中の作業がおわった。 その絵のタイトルは「葬層」。 なくなられた御霊の数に、およぶだけの線を 私は引けたのだろうか。 描き始め、思いは心層に埋もれていたのだと思う、 急に涙があふれ出した。 描いても描いてもあふれて止められなかった。 本当の嗚咽だった。 下から描きはじめ、絵は一番上に、 朝陽を描き入れて出来上がった。 稚拙で、心のままで、私をぶつけただけの絵だ。 この気持ちを忘れないでいたいと思う。 そしてまた明日、新しい陽は昇る。

めぐってきた日

中島さんとの共同制作、その初めての試みが終了し、音と絵による新世界がひとつ生まれた。私はもう次の制作で頭がいっぱいだ。 あれから1年。人々の未だ生々しい記憶とともにある、 あらゆる思い、私の思い。 すべての悲惨と不幸に向けて、私自身の心の中から紙の上へ、新しい線を紡ぎ出すことを決心した。自らにおいて忘れぬことのないよう、心に刻み、鎮魂の祈りとともに、ひとつひとつの線を まっさらな紙へ刻みつけよう。 展覧会へ出品するためには、時間が残り少ない。それでも描く。 そもそもはのんびり気楽に描くつもりだった。しかし今。 特別なわき上がる思いはどうしても止められない。避けられぬ。 それで何かを変えられるわけではない、わかってはいるけれど。 ただ絵を描くことで祈りたい。 この数日の、この一年の、日本中の世界中の多くの祈りとともに、 私の心もそこへ添えたい。