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ライブ絵描き心得

・筆記具: 壁に貼った1mの紙を、5m離れて見るなら、何ミリの太さで絵を描けばよい? 私の選択は、筆。筆は万能筆記具。細い線から太い線まで描け、やわらかな曲線も自由自在。手首の動きにぴったり反応してくれる。極太サインペンでは難しい。そこで、筆ペン(顔料インク)。より黒く、濃く、裏染みがない。ライブ絵描きに好都合。 ・紙:ケンラン。ケント紙に似ている。B全サイズまである。 ・服:地味で、描いている絵を邪魔しないもの。  ・手袋:手汗を防ぎ、墨汚れを抑える。  ・時計:きちんと時間内に仕上げたい。 ・動き:激しく動いたり、ゆったり動いたり。なるべく絵を描く「手もと」を見せる。自分の体がじゃまになるので、横から斜めから下から描く。透明人間ならなお良い。絵描きライブとは、線が生まれる今を目撃できる場であるので。 絵描きの体で手先が見えなかったり、同じ線をくり返す・先行きがわかる描き方では、お客さんは気が抜けてしまう。そういう空気は自分の背中に客席から伝わってくる。インターネット中継のときでさえ、それを感じることがある。そこで、「この部分を完成したい」という思いを断って、全く別の部分を描き始める。お客に完成形を想像させない描き方をしたい。 ともかくも、胡散くさい「アート」とか「パフォーマンス」よ、さらば!である。 花や蝶や女の子、あるいは感情にまかせた抽象を描いて、絵の具を塗りたくってお客さんと興奮してうわー幸せだーありがとう!などというようなライブではなく。 私は、スッと入ってグッと止める・跳ねる、そんな気持ちの良い見世物がしたい。 実際やってみればわかることもある。 筆はペンよりも紙に接してから離れるまでの「なめらかさ」がある。筆を紙からはなすときには、心と体も紙の上からはなれる実感がある。一本の線を描き切ったあと、紙の上に気持ちが残る。そんな描線は饒舌だ。 筆を紙からはなす「出」に合わせて、なぜか体も余韻を求めるように動こうとする。踊るようなその感覚を発見し、驚く。それはライブ本番という緊張感・集中力であればこそだろう。 すべてが終わって振り返ればお客さんが見ている。絵と絵描きがいる。渾然一体となった空間がある。

オラン+サマ 初ライブ@ウッドストックカフェ

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2012年4月4日、やさしく素直にライブは始まった。 カフェの中だけ ぽかぽかと春めいて。 外の世界とはぜんぜん違う時間が、のっそりと流れ出す。 カフェが動き始めたのだ。 前日、オランさんからのメール。 「ふうわりとした音を出したい」と、ひと言。 ‥‥そっか、まっさらでいくんですね。と  私も余計な思考をピタッとやめた。 当日、たいした打ち合わせもなく、本番へ。 居心地のいいカフェ オランさんの「音」と「間」  お客さんの気持ちのさざめき‥‥ 全部がみるみる集まって、私を通って 筆先から流れ出る。すごいね。 私という全体が「透明なツール」になる。 まるで絵描きのシャーマンみたいな感覚でいた。その場・その時・その人々すべてを「寄せて」+「絵にする」。「寄せる」といえば「寄せては、かえす波」。絵を描くことは「かえす」こと。波はさざなみ(漣)。 そして完成。どこにもない音、どこにもない時間、 どこにもない気持ち を閉じこめた絵がそこに。 それは、オランさんの「演奏記録」であり、 今宵この場の「全員の記憶」。居合わせた人たちだけの、特別なもの。秘密(!)。 ---------------------------------------- その日、オランさんは 黒いスカートに白のカーディガン。清楚。 私は チューリップ帽子、太い黒縁メガネ、黒服。なんとも奇妙。 「今日は間(ま)を出しました」とオランさんはおっしゃった。緩・急 強・弱に「間」。とらわれ・気づかいなく、自由自在に。ただ自分が自分であるようにと、エネルギーを注ぐ。たとえばアンコールの「くらげ」。アコーディオンを打楽器に変換、間でもって歌いきった。叩くんですよ?弾かないんですよ?‥‥圧巻。 ギタレレという小ギターでの演奏も、「間」のスパイスがゆったりと効いていた。この日もすべては新鮮で、しっとりとつややかにカラフルだった。 私は必死だ。曲に乗り、歌詞をひろって、絵の中にどんどん入れていく。歌詞にそって絵を描くと、お客さんの空気が反応となってすぐ伝わってくる。快感。青い鳥、天使の気配、鳥のうんち、野に咲く花、夢、さかさまの夜空‥‥ すべて描いた。オランさんやカフェのご主人も描いた。あとはお客の皆さんをもっと入れたかった。 オランさんも私の絵を見ながら、雰囲...