2026.1. このブログは移転しました ▶︎ samaxii.blogspot.com 長らく絵描きとして活動してきたことを記してきました たくさんの素晴らしい経験と出会いがありました すでに絵筆を置き、現在は詩など創作をしています 絵から言葉に変わっても作る姿勢は変わりません これからもどうぞよろしくお願いいたします 左馬 漣
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去勢について
私の詩では、男は去勢的な扱いを受けることが多いです。 従来、男性は女性よりも大きく強い体躯を持っています。女性と比較して生まれつき「 勝 か っている」というアドバンテージがあるのです。勝ち側が勝つのであればそれは強権となり、独占的支配的になります。バランスが良くありません。勝ちで生まれたなら、負ける必要があります。強者こそ優しくあるべきで、それによって調和が保たれます。 私の作る詩世界では、男たちは圧倒的な勝ち(前提とされた途方もなくたくましい体躯)であると同時に、去勢される運命にあり、それによって世界が成り立つという構造があります。男は勝てるというアドバンテージがゆえに負け続ける必要がある世界なのです。しかしそこに感情はありません。絶望も虚無もなくただ淡々と静謐です。 余談ですが、勝ちの優位さを自ら放棄し、負けから入ってくる者たちが現れ始めました。生物的、志向的、社会的に。これは私の詩においてではなく、現実世界の話です。予め負けていることで、攻撃的にふるまえる可能性が生じます。 なるほど、と思いながら私は様子を見ています。私の詩にもそんな存在を登場させてみてもいいかもしれません。
2025年抱負 文章を描く
〈無垢な欲望〉 私のなかに静かに燃える欲望の炎があります。私はこれをリビドー(ユング的な意味で)と呼んでいます。 第一に、このリビドーを創作の源とする 第二に、工夫をし作品として具体化する 第三に、鑑賞者に影響を与え、それが新しい場所で新しい形となる 第四に、第三の変容と拡散がこの世界で連綿と繰り返される 以上が私の創作の目的であり夢でもあります。 なお、すべておいて「誰が」という作家性は不要です。 〈手始めに〉 今、野放図にリビドーのおもむくままの詩や掌編を書いています。まずは絵を描いてきたように文を描くこと。今のところ、書ける文章と書きたい文章はほぼ同じですが十分ではありません。 〈絵と文のちがい〉 かつて描いた絵は、線をどんどんつないでいって大きな作品になりました。細部ではそれぞれに要素が動き、全体ではまた異なる印象に。それを鑑賞する視線の自由さ。動きまわり、近づいたり離れたり。ところが文章は時間や順序を押しつけられます。鑑賞の豊かさのために、たとえば物語性に頼ることになります。 〈脱物語〉 たいていの物語では、筋とは無関係な要素を削ぎ落とし、都合よいものを選んで連ねます。「伏線の回収」は物語において大変好まれる仕組みで、回収されないで宙吊りにされた要素は、不可解・不親切だと見なされることさえあります。私はむしろそのような答え合わせ的な構造など必要ないという立場です。 楽しさや感動のための演出をせずに、「分からないけど面白い」を目指しています。この「面白い」は大衆的なエンターテイメントとはちがいます。ものめずらしさともちがいます。もちろん受け取り方は鑑賞側の自由です。 〈具体的に〉 単に文脈や物語性を排除するだけでは無意味で出鱈目な作品になってしまうでしょう。せめて因果の結びつきをなるべく解きたいところ。起承転結ではなく、起起起起、起承承承としたらどうでしょうか。物語性を欠き、読む気になれないかもしれません。実際に作品を書きながら、そうなっています。また、自己流の言葉遣いは見苦しさもあります。とは言え、それを軽々に否定すべきではないと思います。 〈大事なことがある〉 人とは言葉だけの生き物ではありません。全身体全生命においてぎりぎりのバランスで立って歩いて話して考えて胃腸で消化しています。細胞は常に死んで生まれてシナプスは忙しく発火してタンパク質は生成され、大...
2024年まとめ
数年振りぶりにカフェのライブに行きました。蛇腹姉妹さんです。そして「また共演しましょう」との温かいお誘いをいただきましたが、私の方の諸事情により実現できませんでした。心技体においてもう絵描きイベントはできそうにありませんが、素敵な創作家たちの知り合いができたのは絵を描いてきたから。最後の行脚あんぎゃとして、もういちど、彼ら彼女たちのライブをまわりたいものです。そう書きながら、今くるくると皆さんのことが頭をめぐります。 2024年は絵をやめて、詩と物語を 自分の快感を直に表現したい、でも良識や世間体のようなものが邪魔をする。この頃はようやくそんなタガもはずれ、かまわずズドンと文体に流しこんでいけるようになりました。思い浮かんだイメージを一気に書きます。 sama-saza.blogspot.com じつに爽快。 絵を始めたころの怒りの代わりに、今は欲望の泉があります。自分でもよくわからない癖へきのようなものがあとからあとから湧いてくるので、作品に仕立てていくだけ。シュールな雰囲気ですが、自動筆記ではありません。細部には気を配りながら全体としては荒っぽく。 ・無意識半分、意図半分 ・歯切れの良さやリズム、韻 ・意味に対して表現を選ぶ ・変調や違和感を組み入れる(あえての不自然さ) 手法は絵を描いていたときと同じ です。 ふと映画のような場面が強烈に降ってきて、たまらず『おれの刀は犬より長い』という詩を書きました。一部を無難な表現に変えて投稿したところ、お情けだとは思うのですが佳作に選んでいただきありがたい選評も。 「何か深淵なるものを感じさせてはくれるのだが、作者のあまりもの作為のなさに読者の心が迷子になる。そこが面白い。」 まさに私の意図するところ。でもちゃんと話の流れはあります。この作品は自分でも気に入り、今はそれを広げて少し長い話を作っています。時代劇の世界です。言葉も文語的。マクロからミクロまで自在に視点が移動する、めくるめく文脈を作りたいものです。 来年の活動は 25年5月11日 文学フリーマケットという大規模な頒布会に参加予定です。
2010 - 2023年 絵描き活動総まとめ
2010年から続けてきた絵描き活動、いよいよ最後の年になりました。 2022-23年のまとめ 引き続き意識していたのはリビドーで、己の欲求のおもむくままに描くこと。これは原点回帰とも言えますが、かつてと質が異なります。自分の絵のタッチが固まってきて、思いつきを一枚にまとめられるようになりました。イラストや漫画のような絵です。圧倒的に増えたのが、人間のモチーフです。 SNSと和解したことも影響しているでしょう。そこで孤高に振る舞うのではなく、皆に面白がってもらうことを考えるようになりました。反応してもらえばそれが刺激となり、毎日絵を描いては投稿を繰り返し、数百点の絵を描くことができました。12月の1ヶ月間で、日々の記念日をモチーフにした絵を投稿したりしました。 それまでは、一般の作家や作品のあり方・周辺の状況に対する反骨心に燃えていました。 たとえば、絵をしばる額縁が嫌い、アトリエにこもる制作態度が嫌い、作品に作家性はいらない、鑑賞者がいて絵は完成する、絵は描かれる瞬間にある、描くたびに新しい宇宙を開く、等々。創作のために怒りの炎を自らに宿し、ひたすら実践・行動しました。これまでブログ記事に書いてきた通りです。それが大きく変化したのが、この2年間でした。 一方で、斎藤暁先生(理論物理を研究されています)に薫陶を受け、共著として本を上梓していただくなどしました。その中で、ほんのさわり部分ですが先生の論考から絵物語を描き起こすこともしました。また、『生成消滅図』という、白版・黒版で一幅(表裏)の精密画作品も仕上げました。これは世田谷にある’Global Room of Science & Art’ に展示していただいています。 プライベートでは、子供を授かるという一大イベントがありました。ただそれにより作品が影響されたかというと、全くありません。育児はもっぱら困難が多く、むしろそれから自由になるための創作であったように思います(発想と創作の源泉は潜在意識やリビドーによるものです)。生活の自由度が減って外へ出にくくなったため、イベント事もしなくなりました。 画業の総まとめ(2010〜2023年) 出会いも多く、外に出て活発に活動していました。コロナ禍を経て、インターネット中心の発信へと変わっていきました。 ⚫︎モチーフのねじれ、入り組んだ構成(ただし行き当たりばった...
2021年まとめ
2021年 創作を始めて10年。活動の中心は、 路上→ライブ→個展・作品集→科学・芸術サロン参加→ワークショップ→インターネット→個人 へ と移り変わってきました。 ずっと路上絵は描いていません。片耳の聴覚が不自由になりまた大きな音も苦手になって、音楽ライブへも足が遠のきました。もちろんウィルス流行のせいもあります。一時は活動のパートナー的存在であった中島さんは、遠方へと引っ越されました。一方で、「あかでみあ」という開かれた自由な科学・芸術サロンで齋藤先生に出会い、今は先生のプロジェクトと伴走しています。あとはSNSにいくつかのタネ(絵)を撒いて反応を楽しんだり、漫画のようなものを描こうとしたりしています。 中島さんと議論を深めたり、あかでみあに参加して以来、いろいろなシコリが溶解し、何かに怒ることもなく穏やかに創作と人のありように思いを巡らせることができるようになりました。自然界の仕組みというかカラクリというか、脳が描く世界と分子レベルの世界まで、だいたいつながりが見えてきて、また言葉の限界を知ってかえってホッとしたり。 今は何に興味があるかと言えば、たんぱく質(!?)ですね。付随して、細胞の働きと、それから身近すぎてうっかりしていたのですが、ウィルス、これは結構重要なファクターです。それらの「動き」が私の創作にとっては大いに参考になると思っています。 私の作品が鑑賞者の深層心理へ働きかけて、何か化学反応を引き起こす、長らくその人の深層に留まって時々思い出されたり、新たな活動や創作のきっかけとなる、さらには遺伝子のレベルで・・・ そういう願いは今も変わりません。このブログにもどこかに似た話が記されていたと思います。 一本の線が描かれれば、何かが生じる、何かが動く。 そう願い、また絵を描きます。
2018年まとめ
まず2018年の振り返りをします。 ◎私のなかに入力したことなど 制作、読書、人とのおしゃべり、インターネット、諸々の熱量が高まった。まだデスク周りのことが多いので、もう少し足を使い身体性の割合を増やしたい。路上で考える、とか。残り2ヶ月。 ◎創作活動 一方、創作に関しては定まらず。はじめは絵を整えようと努めていた。それが窮屈になり、はけ口を求めて落書きを描き散らかすことに。Es(リビドー、欲求)のままに。 ◎制作活動 その落書きをまとめて作品集を作った。一気に3冊。私にとって自分の作品は、もう他者のような存在だ。個展も作品集作りも、自分のためというより、生み出されてしまった作品に強制されているイメージ。でも今回、好き勝手にまとめてみたら、意外に楽しかった。 2019年は、はてさて。
踊る絵 絵でない絵へ
今朝、内省しながら、ボリュームに対する欲望を感じた。 垂直方向や3次元・空間・造形への希求。 自分の作品を振り返ってみるに、 ・迷路のような絵 ・奇人(キャラクター = 2次元のフィギュア) ・立体絵(粘土による「立体の線」。どこからでも見られる絵) ・作品集(本・冊子という手応えへの欲望) ・個展の見せ方(ネットを吊るして絵を引っ掛ける手法/2013年の個展にて) ・3DCG(これもディスプレーで見る立体物) などなど... すべては立体的なものに通じる道なのではないか? 私は「遠近法」に反感を抱いている。それは2次元に、計算で作り出す「疑似立体」だから。どうもニセモノの臭いがする。「本物そっくり」という「ニセモノ」。 そこで大和絵の「投影図法」に注目した。大和絵のような、べたっとした空間は視点を選ばない。均一で平等、無垢な表現に思える。巻物による、横スクロールの世界もこれに近い。 遠近法の世界は、視線はただひとつに固定される。とても私的で、絶対的な世界。宗教。 では、もっと広く考えてみよう。 絵それ自体も、大きく捉えれば、2次元に対する限定された視点を与えるものだ。それは「正面」から見なくてはならない。横や後ろからは見えない。 絵という構造物は、3次元に存在している。しかしそれは3次元から切り離され、独自の世界を内包し表出している。正面から見えればそれでよい、と主張している。絵そのものが、何百年もそう主張しつづけてきた。 これは網膜のサーカスだ。マルセル・デュシャンは網膜に訴求するだけの絵を批判している。絵を疑い、絵の存在性を疑った。私は彼とは少し異なり、絵の拡張性・可能性に注目している。 まず額縁がある。より絵の存在と現実空間とを分離するための道具(装置ですらない)。それどころか、権威まで付加してしまう(鬱陶しいかぎり)。 そこで画家も考える。額縁をやめ、キャンバスをやめ、別のものに描いたり、別のものに絵を入れてみたらどうだろうと。彼らは、絵の世界に寄り添う、新しい装置を見出そうとしている。この辺から、絵という存在が「厚み」を増してくる。 厚みのある世界、存在感。ここで言いたいのは、描かれているものの性質にとどまらない、物としての絵である。網膜の遊戯ではない、重みのある、身体性をともなった価値観のこと。身体で体験する...
路上絵描き 秋葉原編
路上絵描きを始めて数年。 路上での絵描きは、楽しい。集中できる。 一期一会、通行人との一発勝負。 絵も、下描きなしの一発勝負。 ペンさばきは速くなった。 ぐずぐず描いていては、人を魅きつけられない。 いつ、どんな場所に立って、どんなふうに見せるか。 歩く人や街の迷惑になってもいけないが、目立たなくては意味がない。 もちろん、第一の目的は自分が楽しく面白い絵を描くこと。 4月下旬からゴールデンウィークにかけて、毎週日曜日に秋葉原の歩行者天国へ。 秋葉原でずっとやってみたかった。できれば「秋葉原らしい」絵を。 アキバを闊歩する彼らに対して、私の絵は訴求できるのか? そういう「勝負」。 結果は、どうだったろうか。 外国の方「写真いいですか?」と丁寧に聞いてくる。もちろんオッケーです。 日本人は「スッゲー」。遠巻きに、あるいは通り過ぎながら「スッゲー」。 印象的だった肌の色の濃い外国の女性。本当に無邪気に絵を喜んでくれた。ハッピーな波。 中華系らしき男性。気さくにいろいろ話しかけてくれた。「がんばってね!」爽やかに去っていく。 ほかには、祝事帰りとおぼしき男女のグループが足を止めてくれた。 絵の女子学生の顔 はクマであるが、それを「はがしてみて」と私は言い、青年がおそるおそるはがしてくれた。クマの下には、前もって女の子の顔を描いておいた。小さな歓声と拍手。 秋葉原らしい雰囲気の若い男性が「完成した絵はどこかで見られますか?」と聞いてきてくれた。私は敬意を表して彼に名刺をお渡しした。 ・・・こんな感じだ。「勝負」の結果はわからない。 おかげさまで今までにはないユニークな絵が描けた。マンガっぽさもあるし、いいと思う。 その場その時だけのエネルギーがこうやって絵にたっぷりと注がれる、路上絵描きの面白さ。 画像クリックで拡大します○秋葉原の街並と、クマのかぶり物(別紙なので脱着可能)をつけた女の子。ぶっ放すマシンガンのマガジンには、弾のかわりに札束、打ち出すのはハートだ。細部もたっぷり、隠れた意味を考えればいろいろと楽しめます。所有したいという方に原画をお譲りします。
2016年抱負
○作品集『異極考』5月1日発売 異極鉱という変わった石を、ひたすら100枚描きました。 その時々で変わっていく、さまざまな石の景色。 紙の本・データ本ともBCCKSで入手できます。 http://bccks.jp/bcck/143900 ○作品展示 栃木県那須郡那珂川町にある金子酒造 その酒蔵にて31点を展示します。 ゴールデンウィーク中に、那珂川町のお祭りの一環として実施します。 期間中は、町のあちこちでライブや展示が行われるそうです。 http://nakagawamachi-kanko.org/recommend/detail/105 ○路上絵描き 4〜7月にかけて、下北沢・銀座・秋葉原などで行います。 下北沢で描きはじめた細かい絵は、先日仕上がりました。 銀座ではたくさんの人に見ていただけました。 次、秋葉原ではアキハバラ的な絵を描いています。 秋葉原 2016.4.24. ○作品集『左馬全作品』2011〜2016 オールカラーで200ページを越えます。夏までには発行。 昨年出したかったのですが、デザイン面で納得がいかず 編集作業の時間がかかっています。
立ち止まり
私の描く絵は、下書きがない。エスキースがない。 無意識と意識のあいだで描く ・・・と説明してきた。 あらためて思うに、それは「駄」あるいは言葉はわるいが「糞」ではないか。 自分では座禅を組むように絵を生みだし、最終的には1作にまとまるように 意識の割合を多くしていって仕上げたつもりである。 しかし実際は野方図で、好きなようにばらまいたタネに水をやって、 たまたま育って実をつけてくれた程度のもの。そんな気がする。 作品と呼ぶのもおこがましい。品のない、作物(さくぶつ)とでもいうべきか。 (しかし分厚い辞書を引けば、作物も芸術作品の意とあるのだが。) では(私にとって)作品のあるべき描かれ方とはどのようなものか。 まずはじめに意図や欲求があり、 それに沿いながらも意識と無意識のやりとりで織りあげていくもの。 そして何より、その作業の折々に、見えない鑑賞者との対話が 果たされなくてはならない。 その絵は何?、おもしろいつまらない、何かを感じる感じない・・・・ 伝わる何か、納得できたり、刺激や面白味が含まれなくてはならない。 これらのバランスを上手にとり、謙虚に大胆に描いていくこと。 作為がすぎれば、それは意匠、グラフィックデザインとなってしまうし、 無意識がすぎれば、鑑賞者に届くもののない自己満足、欲求の発露でしかない。 特に後者は快感をともなう。無意識をうまく使えばいくらでも奇妙な絵は描けるし、 世界を手に入れたような高揚感がある。 結果として何かは出来上がるが、「駄」であり「糞」である。 私は自分の作ったものを愛さない。自作を愛すなど気味が悪い。 しかし敬意ははらう。鑑賞者がいるかぎり、作品は大切な存在でありつづける。 個展をしたり画集を作るのは、つまりそういうことだ。 作品に働かされている。手間や時間やお金を使う。 話を戻せば、先述の三つのバランス、これがひどく難しい。 慎重にはじめようとすると、1本の線すら引けずに立ち止まってしまう。 長い長い黙考。 気ままに始めると、質量が軽くなる。線がスカスカと抜ける。 思いが全く反映されない。 自らを高め「作品」をものすべく、しかし今はまだ立ち止まる日々だ。 立ち止まるな描きつづけろ、という声も自分の中からは聞こえてくる。 ホルスト・ヤンセン...
2015年まとめ
2015年もいよいよ年の瀬。 恒例の、1年のまとめをしておきます。 □ 『蛇腹島奇譚』 ‥‥CDも無事完成し、蛇腹姉妹さんのお披露目ライブに絵描きで参加。 □ 路上絵描き‥‥下北沢にて数回。 □ 人を描く‥‥キャラクターをたくさん作りました。一部はゲームになります。 □ トークと絵描きライブ‥‥「てんとせん」を2回。中島弘貴さんとの共催。 □ 頒布会‥‥「文学フリマ」に出展、共作『夢』『奇人圖譜』など販売。不二家さんと 小さな合作 。 □ その他‥‥新しい試み「環境絵」「異極鉱シリーズ」 描きかけの大きな絵があるのですが、ほとんど手つかず。小さな絵はいろいろ描いていました。 新しい試みを始めていますので、簡単に説明します。 ①「環境絵」: 身近な景色(テクスチャ)を取り入れて絵にし、もとの景色と一緒に写真に撮ります。 コンクリートの質感をモチーフにして、こんな感じです。 こうして見ると、絵がまだまだ実物の力に負けているように思えます。 実物と絵の、一騎打ち。 一枚の写真に収めることで、虚と実の関連性や存在そのものをあばこうとする試みです。 ②「異極鉱シリーズ」 : 異極鉱という変わった石を入手。同じ石をひたすら見つめて、多数描いてます。 見つめつづけることで、いったん固定観念の世界から脱却します。その先は混沌の世界(無の世界)。 それだけでは表現になりませんので、ふたたび意識の世界に戻ってきます。そのとき、どんな絵が生まれるか。 (そこまで到達せず、何も生まれないかもしれません) ちなみにこの手法は禅の世界に則しています。 ③「キャラクター制作」 : 左馬の世界を商業ベースに乗せていく、その前段階。クライアントありきで制作しましたので、まだ左馬の世界を売りこむまでにはいたっていません。 これら の試みは2016年へと続いていきますし、「人」「街」「絵」「思考」の境界を曖昧にしながら、 相互にエネルギーの交換を、私という媒体を経由させながら、より活発にさせていきたいと思います。 これからも私が描く絵たちを、愉快に楽しく意味深に感じていただければ幸いです。
イベント「てんとせん」第2回
2015.11.7(土)に、中島弘貴さん(作家、演奏家)と、おしゃべり会を行います。 7月に続き第2回です。今回のテーマは「神話」。中島さんが様々な著作を紹介、神話についての思いを話してくださいます。私も話を広げていきながら、皆さんと思いを共にできればと考えています。 前回は本当に大勢の方にお越しいただき、濃い時間をじっくり共有できました。不慣れで手探りのイベントではありましたが、お客様からのご意見や質問もいただきながら、充実した楽しい時間をすごせました。自己満足で終わらせないために、その後、私と中島さんで反省会をし、第2回に備えています。 第2回の前半は、トークライブの形で、神話をテーマに縦横無尽にお話をします。神話の不思議さ、なぜ人は神話に魅かれるのか、神話が語ろうとしていることなど、広い視点でおしゃべりします。 後半は、柴田高志さん(画家)をお招きしての絵描きライブ。中島さんの歌と演奏とともに、私と柴田さんとで大きな紙に絵を描いていきます。今回は二人で別々の絵を自由に描いていきますので、2つの絵を見比べて、また中島さんの歌もゆっくりお楽しみください。 創作する人もしない人も、何か新しい生活の切り口を、ワクワクするヒントを、愉快な思考のかけらを、このイベントで見つけていただければ幸いです。 それでは11月7日の土曜日、お待ちしております。 -------------------------------------------------- 「てんとせん 2」 出演▶サマ(左馬漣)・中島弘貴 ゲスト▶柴田高志 内容▶絵描きとトーク 日時▶2015年11月7日(土)17:30オープン18:00スタート 会場▶ cafe ぽれやぁれ 東京都杉並区高円寺南3-44-16 ※ JR高円寺駅 南口から徒歩5〜10分 03-3316-0315 参加無料▶ドリンクオーダーと投げ銭をよろしくお願いします。
イベント「てんとせん」第1回
2015.7.19(日)に、中島弘貴さん(作家、演奏家)と、おしゃべり会を行います。 中島さんとは年何回かお会いして、長々と四方山話をする仲です。 私はこの長いお茶会を、もっと多くの人と共有してみたいと思っていました。3年経って、「そろそろやりましょうか」という感じで話はまとまり、場所も見つかったので7月にイベントとして行うことにしました。 中島さんは読書家で、西洋文学や文化・博物学・思想などの本を読み、とてもよく把握していらっしゃいます。私はその話をうけとり、様々にイメージを広げるのが好きです。 今回はそんな役どころで、私たち二人がおしゃべりをし、また大きな紙に絵を描くなどしていきます。話の内容を吸いこんで、新しい絵が生まれ、成長していく様子を皆さんに見ていただければ幸いです。 また参加される方には、ひとつ「言葉」を考えて来ていただきます。その言葉を紙に書き、おしゃべりや絵の中へと反映させていこうという趣向です。さらには参加される皆さんもおしゃべりに加わっていただければ、よりいっそうこの集まりが深みを増すと思います。 タイトルの「てんとせん」、その「てん」は私たちであり皆さんであり。それを星座のように「せん」で結ぶと、さてさて、どんな星座が浮かび上がるでしょうか。言葉で、絵で、空気で、想像で、感じてもらえれば何よりです。 創作する人もしない人も、何か新しい生活の切り口を、ワクワクするヒントを、愉快な思考のかけらを、このイベントで見つけていただければ本望です。 何ぶんはじめての試みですので、不備や至らない点も多々あるとは思いますが、どうかご諒恕のほど、よろしくお付き合いくださいますよう。 7月19日の日曜日、お待ちしております。 ----------------------------------------------------- 「てんとせん」 出演▶中島弘貴・サマ(左馬漣) 内容▶絵描きとトーク 日時▶2015年7月19日(日)17:30オープン18:00スタート 会場▶ cafe ぽれやぁれ 東京都杉並区高円寺南3-44-16 ※ JR高円寺駅 南口から徒歩5〜10分 03-3316-0315 参加無料▶ドリンクオーダーと投げ銭をよろしくお願いします。 ※ ご来場の方は、絵や話題にしてほしい言葉をひとつ...
2015年抱負
正月になりました。 2014年は、思いのほか計画を実現できませんでした。 理由は、絵描きではない通常の仕事が「こじれて」いたためです。 結果、 絵描きとしての「左馬」と、普段の仕事を近づけてみる1年になりました。 たとえば、作品を描いたり整理したり、新規に持ちこみをしたり。 一昨年までの、自由奔放なあれこれは、ほとんどしていません。 個展もなし、絵描きライブもなし、実験的な創作もなし。 大作はなく、小さな絵をいろいろ描いていました。目立った活動としては、 □ 夢の本‥‥不二家氏との共作で実現。 http://bccks.jp/bcck/124898 □ 路上絵描き‥‥秋葉原にて。新宿、銀座ではせず。 □ 色彩を使う‥‥絵本制作や、デジタル作品などで実現。 □ その他‥‥『蛇腹島奇譚』CDジャケット絵(蛇腹姉妹さんのアルバム) 『蛇腹島奇譚』では、鑑賞する人が抱いている「左馬が描く絵のイメージ」に 私がアプローチしていく、つまり「期待にこたえる絵を描く」という作業を経験。 時間も労力も費やしました。全員で完成度の高いものを生み出す苦労を味わいました。 さて現在、タッチの変化が訪れています。変えていこうという意志があります。 さらに、時々は「人」も描いてみようと思います。 (今までは、人は人が大好きなので、私は反抗し、なるべく避けていました。) もちろん「見る人の脳裏にこびりつく」「心の無意識にこっそりと巣を張る絵を!」 という目的は変わりませんし、ますます奔放な絵になっていくかもしれません。 2015年も引き続き、左馬の世界を商業ベースに乗せていく、いやむしろ 左馬の閉じた絵の世界を、大衆媒体に乗せるアプローチをする、という ことになると思います。 一般展示会やコンペに出すなどという、まどろっこしいことはしません。 人の働いているところへ行き、アピールし、話し、感じてきたいと思います。 その方が直接的で、刺激的。受け入れられるか、否定されるか、無視されるか、 やってみなけりゃ分かりません。人と人との間には、いろいろ起こりうるからです。 何ともおもしろいではありませんか。 これからも私が描く絵たちを、愉快に楽しく意味深に感じていただければ幸いです。
2014年抱負
・夢の本を出す 夢を楽しみたくなるような冊子 夢の標本をまとめたような冊子( twitter.com/sama_ ) ・らせん状の曼荼羅 など大きめの作品を描く ・ 写真と絵画/虚構と現実 を曖昧にした作品を作る ・漫画 あるいは 戯画を描き、本にする ・色彩を使う(これまでペン画だったので) ・展示会へ出品する(8月) ・共作をする(いつでも誰とでもどんなふうでも) ライブ絵描きは、サックスに合わせてやってみたい (今まで共演してくださった方々とももちろん) ・どこか小さな喫茶店で、地味な個展をする(地味な季節に) または 作品をかついで即席の出張個展をする「個々展」 ・秋葉原で路上絵描きし、通行人の足を止められるか? あるいは 銀座で西新宿で また東京以外で ・・・・・・ やりたいことは他にもあるけれど、今年の予定としてはこれくらいで。 追記) ・夢の本と、漫画に関してはすでに制作を開始しました。 ・路上絵描きは4/6に行いましたが、春雨で中断。ゴールデンウィークころから本格的に。 ・色彩を使った絵は、twitterにて公開しはじめました。色は愉快です。 twitter.com/sama_box
2013年まとめ
身体に絵を描き表現する目論みはかなわず、年末を迎える。 今年の総括を。 印象的だったのは、9月の個展。 オルガンヴィトー塔嶌さんのお力を借りて、満足いく会場作りができた。 もうこれ以上の、手間ひまお金をかけた個展はやらないだろうと思う。 ご高覧いただけた皆さまには、ずっと記憶に残していただきたいと切に願う。 絵描きライブは、実にバラエティー豊か。 『Hyoruka』、『互感ライブ』、テールエヴィ店内への絵描き 2回、 『蝸牛の音楽教室』。まったく違う経験、愉しみがあった。 身体性について。 肌に絵を描くことに関して、AZUさんにお話しをうかがったのも収穫。 そこには「祈り」があるというお話。 4月にはフィギュアスケートを生で見て、得るものがあった。リンクは1枚のタブロー。 演劇は『大きなトランクのなかの箱』『幻探偵2』が最高に良かったが・・・ 身体性と、劇場・役者の関係性など、私が求めているものに対する答えはそこには 見当たらなかった。 路上絵描き。直接的・刺激的な体験。 ここから始まった交際や、一瞬の出会いと別れ、絵を街の空気にさらすこと。 すべては描くこと、生きることへの欲求につながる。根本的なもの。 攻撃的であり、友愛であり、刹那の夢、あるいはなんでもないこと。 以上、今年の制作物は、「立体絵」「奇人圖譜 百八體」「作品集2」「カード絵」 それに 路上で描いた絵、机上で描いた絵、ライブで描いた絵。 最後に。 出来上がった作品自体が、作者に催促して個展をやらせたり、時にはなんと 作者を罵倒したり軽蔑することが あり得るのではないか? ・・・という気がしている。 2014年。 計画もできているし、プロジェクトとしてすでに進行しているものもある。 詳細はまた年明けにご報告。 色彩は、やります。
路上絵描き 下北沢編
今回から少しずつ作品を、ネットの海に浮かべてみます (煤田さんとも約束しておりましたので) 。 実体験する鑑賞には遠くおよばないと思われますが、このような形でも皆様の心の奥に 引っかかる不思議な何かを残せますようにと願って。 『下北沢喧噪図』 (クリックで拡大します) 下北沢の南口商店街という、最も人通りの多い場所で路上絵描きをした作品。 電車、駅、道路、階段、ビルなど、街が分身となって絵の中に入りこんでいます。 だから何だというわけではなく、通行人の脚を止められるか素通りされるか‥‥ そういう一期一会のチャンチャンバラバラなのです路上絵描きの意味とは。 街の絵はそれが描かれた街へ。近々、下北沢のお店で展示していただく予定です。