絵描き「路上より」

日曜日。曇天。下北沢駅そばMUJIの前。「路上絵描きライブ」。雑踏をアトリエにして。
観客は通りすがりの方たち。足を止めてく見てくださった皆さまに感謝。
・青年男女「かっけー」「色はつけないの?」「ぬりえにしたら売れそう?」「買う人いそー」「いるいる」「売れそうだよね 2300円とかで」細かい値段の付け方がおかしかった。
・小さな子ら 質問も反応もストレート。名刺を渡した時の様子もかわいらしい。
・ご婦人 「まあ寒いのにえらいわねえ」とお褒め(?)いただく。
・外国の方 「ビュウリホー」。お仕事のご依頼・作品の販売については、拝辞を申し上げた。すべては英語が堪能なご婦人の通訳のおかげ、気持ちも通じ。最後の握手の手、大きく温かく。
◉実験「街を透明なアトリエに」
 今回は「開いた」路上絵描き、前回は「閉じた」路上絵描き。
 結果はまるでちがった。
◎前回・・・・
 非常に多くの人が、からだが接触しそうなほど近い距離を通りすぎていく、駅の出口で。
 私は手にスケッチブックを持ち、電信柱を背に、描きつづけた。
 結果)声をかけたり立ち止まる人は皆無。だれからも無関心。
 私は雑踏に埋没し、見えない箱で頭をくくられた感覚。やがて人も電柱もビルも、
 無機質な塊になって意識の果てにかすれていった。ただ絵を描き、描くしかなく、
 街は見事に「見えないアトリエ」となった。
 実験は成功なのだろう。しかし知覚は正座の後のようにしびれ、ひどい疲れだけが残った。

◎今回・・・・
 道が「く」の字に曲がる、その角。向かいは大きな店舗。人通りも多い。
 私はイーゼルを立て、描きかけの絵を気ままに描いた。
 結果)街は「アトリエ」でなく「個展」になった。
 いくつかの愉快な会話があり、絵も描き進めるが、前回のような絵描きができない。
 静かな嵐のような、狂気のような、隔絶された無音の叫びが、ペン先からも現れず、
 「新しい線」にも出会えなかった。
 今回は、まず絵の陳列があり、私がそれに手を加える行為 が符合となって、
 通行人との会話が生じる。結果として、街は透明な個展会場であるだけだった。
(左)「閉じた絵描き」=アトリエ的  (右)「開いた絵描き」=個展的
◎問題・・・・
 制作現場であることと、鑑賞者との交流 その両立は‥‥。
 「透明なアトリエ」と「透明な個展」は、同時存在できないのだろうか?
(街という、開いた・流れのある 空間において)