うっかり迂回路

言葉はいらなくて、絵で語りたい と思う。
でも今「絵で語ろう」を説明するのに、言葉をつかってしまう のは、矛盾。
その辺、くるくるまわる堂堂めぐり。
※「堂堂」はパッチリあけた目々でもあるし(ちょっとクマになってるし)ドォドォ鳥の「ドォドォ」部分でもある。
※「まわる」の「回」は回路っぽいし、迷路みたいだし、目がまわる。

つまり「絵で語ろう」を「字で語ってるじゃん」は、「回」みたいな現象なのかもしれない。
ずっと言いつづけているのは(誰に/自分に)、呼吸するくらいの無意識さでもって日々毎々
絵を描けるくらいになりたい ということ。食事するくらいには なれた気はする。

話すように唄うようにどんどん描いていきたい 今は。(明日はもうわからないのだし。)
「あ」と思ったらもう指が動いてなきゃ。
‥‥「なきゃ」というのもうっとうしいから、その辺にほっぽらかしておき
口笛吹いてあの虹をわたっていきますか。

「バタン!」(倒れた音)おやなんだ、虹は書き割りだったのだ。見世物小屋、ばんざい!

追記)doudou(仏語)なら、幼児が手放せないでいるお気に入りの毛布やぬいぐるみの意味だそう(あのニオイつき)。
    それじゃあ「どうどうめぐり」はもはや「胎内回り」、いつまでもくり返す「胎内回帰」じゃあないですか。
   ※「迂回路」は「迂回・路」かもしれないけれどもしかすると「迂・回路」かもしれなくもあり。