「龍」は全部入り

漢字「竜」と「龍」。
「竜」は西洋のドラゴン。「龍」は東洋風。そんなイメージ。

龍は皇帝のシンボル。皇帝だけに許された特別な意匠だった。
「おれだって龍がほしい」と思った昔々の中国のお役人、
いろいろな動物のパーツをよせあつめ、龍もどきをコラージュしてしまった*。
足の指も1本減らして4本に。つまり龍であって龍でなし。
パンダじゃないけどパンダ、ガンダムだけどガンダムじゃない、という軽業(かるわざ)。

そう、餃子でも肉まんでも、皮という皮、あっちではすべてが「分厚い」のだ。でも、食べたいのは・美味しいのは・楽しみたいのは、<具>の方。
そこへいくと、本物の龍。まさにコンテンツ。ぎっしり詰まっている、<具>。
なんといってもあの果てしなく長々しい胴。そこに、みっちりぎっしり、大量の鱗(うろこ)。大地にあっては「龍脈」という「気」の流れとなり、川となり海となり谷を刻む。
スケールがいい。猛烈にでっかい。

すべての漢字は「龍」の文字から生まれたという観想。さもさもありなん。山も川も木も森も、大地に涅槃する龍の体から「成る」。漢字ってそもそも絵なんだね。大昔の趣味人なんかが、しれっと酔狂で、大地の龍のからだの一部をデッサン。「この絵、山のことにしようよ」「いいね」
そんな感じで、漢字。
龍はそこにいるのだけど、あんまりでっかいので、見えているのに、見えない。人は、漢字や歌によって、風景を感じ、「ああ、あれが景色なんだ!」と自覚した。それは言葉が 景色(龍) を発見した瞬間。
と、ここまではものの本**にも出てくるようなお話。
私はこれに「時間」をかぶせておきたい。龍が見えないのはでっかいからでもあるけど、「遅くて早くて、さっきでこれから」みたいな 存在/非在 なのだと思う。つまりあれは、世界の、1本の、壮大な「時間軸」じゃないのかな。面白いね。どう?
とにかく、あの鱗の一枚一枚の下には、なんだかいろんなものが隠されているみたいだ。
*上海の「豫園」という庭園にある、龍の彫り物
**たとえば『日本空間の誕生』阿部一、『中国山水画の誕生』マイケル・サリヴァン、
『龍の住むランドスケープ-中国人の空間デザイン』中野美代子