アルチンボルトか国芳か

マニエリスム*で軽くくくれてしまうような御仁 
ではなく歌川国芳、である。
芸術家・絵師のように格好つけるもなく、洒落好きダジャレ好き、大胆繊細反骨気骨。「おもしれえだろ?」そんな声が聞こえてきそうな「国芳展」をそぞろ観想してきたので少し感想。

まず、手足の「指」の描き方が好みだ。ぷりぷりとして良し。私も普段そう描きます。さらに武者絵の筋肉は、古松の幹のごとく奇異なほどに隆々(りゅうりゅう)、それもまた良し。
ヒレで立って歩く!金魚たちの愛らしさ、竜宮城では魚たちが舞い踊り(浦島太郎もこりゃあ帰りたくなくなるわ)の面白可笑しさ、水滸伝の豪傑、妖怪幽霊、ネコトラタヌーキ**、福助福神から地獄まで。
画面いっぱいジグザグの、「赤い」稲光。こまかい集中効果線、まさに現代劇画のルーツかは‥‥と等々、そのザ・ワールドを語るに枚挙イトマなく、以下簡単にふたつだけ、まとめておきます。

(続き)
<一>「坂田怪童丸」が大鯉を抱えている図絵などに、水の表現で「半透明」(透け)がみられる。刷りで調整しているのだろうか。このノセ(レイヤー的)表現、ケヌキアワセではなく、が凄い。

<二> 狐の嫁入りの絵(題は失念)。画面右、遠くから嫁入り行列が連なり、中央に花嫁の籠(かご)、画面左へと続く構図
(わかりにくくてすみません)。
籠のかつぎ手たちは人間の容姿であるものの、離れるにしたがって各人がキツネの姿へと変化していく。そのメタモルフォーゼ***。
この行列1本で、時間流・遠近法・距離・様態変化まで、いっぺんに描ききっている、その凄さ。

<二>の「連続性」、私の中では赤い雷光ひらめく発見。でも国芳の作意のほどはわかりません。とまれかくまれ、ややこしいことめんどくさいことぬきで 国芳展、楽しめると思います。2/12まで。
*バロックに近い、ぎっしり詰まったグロテスクや突飛、反骨、邪道、の芸術‥‥だと思います。
**タヌキたちが自分の「ふぐり」をどばっと広げ、ゴザやらコタツやら、何にでも便利に利用してしまう絵。
***変態、変異、変身。